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[AiO JAPAN] チャルメラ リード付き紅花梨D調高音 ラッパ 中国楽器 音楽
夜の街が、静まり返る頃。
どこからともなく、聞こえてくる。
♬チャラリーララ … チャラリラララー……
その音が聞こえた瞬間。
子供たちは窓を開け、 父親は新聞から顔を上げ、 母親は「あら、ラーメン屋さんね」と微笑む。
まだ姿は見えない。
しかし、確かに近づいてくる。
音だけで分かる幸福というものが、かつてこの国には存在した。
今ではほとんど聞くことのなくなった、あのチャルメラの音色。
それは、日本人の夜そのものだった。
では、なぜ私たちは、あの音を聞くだけで、胸が締め付けられるほど懐かしく感じてしまうのだろうか。

「音」で始まるラーメン屋という文化
まず知っておきたいのは、夜鳴きそばが「看板」で客を集めていたのではない、という事実だ。
屋台は、街を歩く。
だから、店を見つけてもらう必要があった。
そこで生まれたのが、チャルメラによる営業案内である。
明治時代以降、中国由来の吹奏楽器を応用し、屋台の存在を知らせる音として全国へと広がっていった。
つまり、ラーメン屋とは――
最初に、耳で出会う店だった。
姿より先に、音がやってくる。
考えてみれば、これほど不思議な商売の形はない。
チャルメラとは、そもそも何の楽器なのか
ここで少し、音の正体について触れておきたい。
チャルメラは、オーボエと同じ祖先を持つ、ダブルリードの木管楽器である。
吹き口には、二枚の薄いリードが重なっている。
そこに息を吹き込むと、独特の、鼻にかかったような甲高い音が生まれる。
先端はラッパのように開いている。
リードの素材には、かつては藁が使われていたが、今日では細いストローが使われているという。
この楽器の旅は、驚くほど長い。
西アジアで生まれたダブルリードの楽器が、シルクロードを渡って中国へ伝わり、そこで「スオナ」と呼ばれる楽器に姿を変えた。
日本には、安土桃山時代に中国から伝来したとみられている。
当初は「唐人笛」と呼ばれていた。
江戸時代初期、長崎を訪れたポルトガル人が、この楽器を「チャラメラ」と呼んだことから、その名が定着していったという。
つまり、あの音色は――
ペルシアから中国を経て、ポルトガル人の口によって名付けられ、日本の夜に住みついた。
一台の楽器の中に、何百年もの旅路が畳み込まれている。
そして、あの誰もが口ずさめる旋律。
「ソラシーラソー、ソラシラソラー」
これには、決まった歌詞も、譜面としての正式な由来もない。
ただ、人の注意を引くための音として、磨かれ続けてきたフレーズなのである。
シルクロードを通ってフランスへ渡ったズルナが姿を変えたものが、オーボエになったという説もある。
だとすれば――
オーボエとチャルメラは、同じ楽器の、遠い双子だったのかもしれない。
一方はコンサートホールで気品をまとい、 一方は屋台の湯気の中で、庶民の腹を鳴らした。
同じ音の起源が、まったく違う人生を歩んだのだ。

「姿が見えない音」が人をワクワクさせる理由
ここから少し、心理学の話をしたい。
現代は、通知音、着信音、広告音――情報がすぐ目の前に現れる時代だ。
だが、昔のチャルメラは違った。
音だけが、聞こえる。
姿は、まだ見えない。
人間は、見えないものを想像するとき、幸福感が増幅すると言われている。
「あっ、来た!」 「あっちだ!」 「あ、曲がった!」
子供たちは、音だけを頼りに外へ飛び出した。
この探す楽しみこそ、現代人が失った贅沢だったのかもしれない。
答えがすぐに手に入る時代に、私たちは「待つこと」の豊かさを、少しずつ手放してきたのだ。
夜鳴きそばは「夜の時計」だった
実は、昔の人々はチャルメラで時間を感じていた。
「もう十時か」 「あの屋台が来たから、寝よう」
時計ではなく、街を歩く音が、生活のリズムになっていた。
鐘の音。夕焼け小焼け。豆腐屋のラッパ。焼き芋屋の石焼き芋。
そして、夜はチャルメラ。
これは単なる商売の音ではない。街全体のサウンドスケープ―音風景の一部だったのである。
昭和の街は、視覚ではなく、聴覚で一日の輪郭を描いていた。
音が消えるということは、街のリズムそのものが消えるということだった。
屋台ラーメンが運んでいたのは「孤独を癒やす時間」
ここで少し、切ない話をしたい。
昭和の屋台には、仕事帰りの会社員、夜勤明けの人、タクシー運転手、新聞配達、学生…様々な人が集まった。
誰も、長居はしない。
しかし屋台では、見知らぬ者同士が自然に話し始める。
「今日は寒いね」 「景気悪いな」 「いつもの」
たった一杯のラーメンが、都会の孤独を、静かに溶かしていた。
現代のフードトラックにも、同じような手軽さはある。
だが決定的に違うのは、効率で選ばれる場所か、情緒で選ばれる場所か、という点だ。
現代のフードトラックは、SNSで見つけて、並んで、写真を撮って、去っていく。
昭和の屋台は、音を聞いて、探して、たどり着き、そこに座り込んだ。
同じ「移動する飲食店」でも、運んでいたものはまるで違う。
チャルメラは「音の記憶」として脳に残り続ける
興味深いのは、音の記憶は匂いの記憶と並び、人間の感情を強く呼び起こすということだ。
だから、チャルメラを聞くと――
子供時代。冬の夜。父親。昭和の商店街。家族。街灯。湯気。
そんな映像まで、脳内に蘇る。
映画やドラマが、昭和の夜を表現するときに、あえてこの音を挿入するのも同じ理由だろう。
セリフも説明もいらない。
チャルメラの旋律ひとつで、観る者は瞬時に「あの時代」へと引き戻される。
音だけで昭和を語れる記号――それが、チャルメラという存在の本当の力なのだ。

なぜチャルメラは街から消えていったのか
もちろん、理由はある。
衛生基準の厳格化。道路交通事情。騒音問題。固定店舗の増加。深夜営業制限。
都市は便利になった。
しかし、便利になるほど、街は静かになった。
静かになったというより――
人間の音が、消えたのだ。
だから今、チャルメラを聞くと、私たちは失われた時代そのものを思い出してしまう。
想像してみてほしい。
冬の夜。吐く息が白い。
遠くで、 ♪チャラララ……
まだ姿は見えない。
でも、音だけで、笑顔になる。
湯気の向こうには、一杯のラーメンだけではなく――
街があり、人がいて、会話があり、一日の終わりがあった。
チャルメラは、ラーメンを売っていたのではない。
あの頃の日本の夜を、運んでいたのである。
今でも、ごく稀に、どこかの街角でチャルメラが響くことがある。
その音に足を止めてしまうのは、お腹が空いているからではない。
心が、覚えているからだ。
私たちは音楽を忘れても、街の音は忘れない。
チャルメラが聞こえる夜とは、ラーメン屋が来る夜ではなく――
懐かしい自分が帰ってくる夜だったのかもしれない。
もし今夜、遠くからチャルメラが聞こえたら。
あなたは、追いかけるだろうか。
The end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。
Thank you for reading to the end. I hope this article adds a little spice to your day tomorrow.
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