
夜。
家族はもう寝静まっている。
部屋の中で、テレビだけが青白く光っている。
バラエティ番組の笑い声。
ドラマのエンディング曲。
そして突然――
不気味な音楽が流れる。
無表情の子供が、こちらを見ている。
意味不明な映像が、ゆっくりと展開していく。
当時、多くの子供たちは本気でそう感じた。
「これは、見てはいけないものだ」
昭和〜平成初期の日本。
テレビCMには、現在では考えられないほど”不穏”な広告が大量に存在していた。
なぜあのCMは、あれほど怖かったのか。
なぜ子供の脳に深く焼き付き、数十年後も忘れられないのか。
テレビが”絶対王者”だった時代
1970〜1990年代。
テレビは単なる娯楽ではなかった。
それは家庭空間そのものだった。
一家に一台。
家族全員が同じ画面を見る。
つまりあの時代のCMとは――
「逃げられない視覚情報」
だったのだ。
YouTubeのようにスキップできない。
スマホのように閉じられない。
チャンネルを変えても、似たようなものが流れてくる。
子供は、大人が見ている番組を強制的に浴び続けた。
ここが、現代と決定的に違う点である。
そして特に異様だったのが、深夜帯のCM文化だ。
公共広告、公害啓発、薬品広告、仏壇・人形CM、ローカル企業のローコスト映像――
これらには、現在より遥かに”不穏な演出”が多かった。
理由は単純である。
当時の広告業界には、こんな思想が根強くあった。
「CMは印象に残って勝ち」
つまり広告制作者たちは、意図的に”恐怖”を武器として使っていたのだ。
なぜ子供の脳はCMを”恐怖”として記憶するのか
ここで重要な問いが生まれる。
同じCMを見ていた大人は、それほど怖がらなかった。
なぜ子供だけが、あれほど深く傷ついたのか。
答えは、脳の構造にある。
大人は論理で補完できる。
「これは広告だ」「社会問題の啓発だ」「芸術的な演出だ」と。
しかし子供は違う。
説明できないものを、
そのまま「恐怖」として受け取る。
認知科学の言葉を借りれば――
• 不確実性への恐怖
• 予測不能ストレス
• パターン認識の欠損
幼少期の脳は、「理解不能=危険」として処理しやすい。
つまり子供が怖がっていたのは、幽霊でも怪物でもなかった。
“意味が分からないこと”そのものだったのだ。
“突然来る”という最大の恐怖
しかしもっと根本的な理由がある。
映画でもホラー番組でも、「怖いものを見る準備」ができている。
しかしCMにはそれがない。
楽しいバラエティ番組の途中で、突然空気が変わる。
心理学ではこれを「感情落差ショック」として説明できる。
笑っていた直後に――
無音。
暗転。
不気味な顔がゆっくり現れる。
子供の脳は、処理不能になる。
これはホラー演出の基本でもある。
“恐怖は予測できないとき、最大化する”。
CMとは構造的に、恐怖を最大化しやすいメディアだったのだ。
日本人が特に怖がった”不気味さ”の正体
では具体的に、昭和〜平成のCMには何が含まれていたのか。
怖かったCMには、驚くほど共通した要素がある。
ひとつ目は、無表情だ。
日本の恐怖演出は、欧米の”絶叫型”とは違う。
静かである。
無表情。
停止。
沈黙。
能面文化や、日本ホラーの系譜にも通じる。
感情が読めない顔に、人間は本能的な恐怖を感じる。
笑っているより、無表情の方が怖い。
それが日本的恐怖の本質だ。
ふたつ目は、音だ。
CM恐怖の核心は、実は”音”にある。
• 不自然な子供の声
• オルゴールのメロディー
• 不協和音
• 逆再生風の音響
• 超低音の響き
これらは人間に、本能的な不安を与える。
特に低周波音は、人間に「気配」を感じさせる。
現代のホラー映画でも常用される技法だ。
昭和のCMクリエイターたちは、意図せず――あるいは意図して――その技法を使っていた。
三つ目は、意味不明さだ。
子供は「意味が理解できない広告」を極端に怖がる。
抽象映像。前衛芸術的な演出。暗喩。社会問題の象徴。
大人には”芸術的”に映るものが、子供には“理解不能な異界”に見える。
公共広告が特に恐れられたのは、まさにこの理由だ。
「飲酒運転」「戦争」「環境破壊」「いじめ」「エイズ」――
重いテーマを短時間で刻み込むため、制作者たちは”心理的不安”を意図的に使った。
子供にとってそれは、
CMとは一瞬だけ現れる”異世界の裂け目”
だったのである。

なぜ”トラウマCM”は都市伝説になったのか
2000年代に入り、ネット掲示板で奇妙な現象が起きる。
誰かが書く。
「あのCM、覚えてる?」
すると大量の人間が反応する。
「あった、あった!」
「あれ、本当に怖かった」
「夜中に見て泣いた」
つまり――
“個人的な恐怖”が、実は世代全体が共有した記憶だったことが、インターネットによって初めて可視化されたのだ。
みんな「自分だけが怖かった」と思っていた。
しかし実際は、日本中の子供が同じ画面を見て、同じ恐怖を感じていた。
これは集団記憶の発見でもあった。
やがてこの現象は、「トラウマCM」「放送事故」「検索してはいけない言葉」文化へと接続していく。
日本のネット文化は、テレビ時代の恐怖記憶を丸ごと引き継いでいたのだ。
なぜ今のCMは”怖くない”のか
現代の広告は、炎上リスクが極めて高い。
そのため、癒し・明るさ・共感・クリーンさが優先される。
かつてのような、前衛的・実験的・不穏な演出は激減した。
しかしそれだけではない。
昔の子供にとってテレビは、「世界そのもの」だった。
今日は違う。
YouTube。TikTok。SNS。ゲーム。
情報源が無数に分散し、テレビが持っていた”絶対性”は消えた。
子供はもう、テレビを恐れない。
なぜならテレビは、世界の全てではないからだ。
怖かったのは、CMではなかった
ここで、結論を言わなければならない。
あのCMは、本当に怖かった。
しかし――
本当に恐ろしかったのは、映像そのものではない。
幼少期という、“世界をまだ理解できない時代”
そのものだったのだ。
暗い部屋。
親がいない深夜。
ブラウン管のノイズ。
突然変わる空気。
子供は、世界の意味をまだ知らない。
だからこそ、意味不明な映像は”異界”になる。
そして数十年後。
大人になった私たちは、YouTubeでそのCMを見返す。
すると奇妙な感覚に襲われる。
「あれ……今見ると、そこまで怖くない」
つまり私たちが恐れていたのは、
CMそのものではなく、
“幼少期の不安定な認知世界”
そのものだったのかもしれない。
だが同時に。
あの不気味なCMたちは、ただの広告ではなかった。
高度経済成長後の日本。
テレビ黄金期の空気。
昭和末期の夜の匂い。
家族がまだ同じ画面を見ていた、あの時代。
そのすべてを封じ込めた――
“時代の亡霊”
だったのかもしれない。
あなたが覚えているあのCMは、
本当にテレビの中にあったのだろうか。
それとも、
幼かったあなた自身の中に、
最初からあったのだろうか。
The end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。
Thank you for reading to the end. I hope this article adds a little spice to your day tomorrow.



















