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教会の壁に刻まれた、意味不明の「五つの球体」——その起源は今も解明されていない。
(スペイン・マラガ/Iglesia de San Juan Bautista)
出典:Wikimedia Commons / Photo by Daniel Capilla
License: CC BY-SA 4.0
スペイン南部、マラガ。
地中海の強い日差しが、白い石造りの建物を容赦なく照らしつける街。
観光客はフラメンコを求め、タパスを求め、青い空を求めてやってくる。
しかしその旧市街の片隅に、ある教会がある。
そして、その白い壁を眺めた者は、ある一点で――視線を止めてしまう。
それは、五つの球体だった。
その五つの球体は、「サン・フアン・バウティスタ教会」(Iglesia de San Juan Bautista)の正面ファサードに埋め込まれている。
教会の所在地はカジェ・シンコ・ボラス9番地。1490年に創建された、マラガでも最古の部類に属するカトリック教会だ。

教会の壁に刻まれた、意味不明の「五つの球体」——その起源は今も解明されていない。
(スペイン・マラガ/Iglesia de San Juan Bautista)
出典:Wikimedia Commons / Photo by Daniel Capilla
License: CC BY-SA 4.0
櫻井 義夫 他1名 スペインのロマネスク教会: 時空を超えた光と影 (ヨーロッパ建築ガイドブック)
装飾にしては、あまりに無機質すぎる。
彫刻のような繊細さはなく、
宗教的図像のような説得力もなく、
ただ「丸いもの」が五つ、壁面に埋め込まれている。
まるで――最初からそこにあったのではなく、
後から誰かが、無理やり押し込んだかのように。
この奇妙な存在は古くから「Cinco Bolas(シンコ・ボラス)」、
そのまま訳せば「五つの球」と呼ばれてきた。
現在確認できる資料の範囲では、その正確な由来は謎のままだ。歴史家も地元の人々も、長年この球体に首をかしげてきた。 
ここで一つの疑問が浮かぶ。
これほど目立つ構造物に、なぜ「説明」がないのか。
通常、教会建築における装飾には、必ず意図がある。
ゴシックの尖塔は「天への指向」を示し、
ステンドグラスは「光による啓示」を表し、
石に刻まれた文様ひとつにも、神学的な意味が込められてきた。
「球体」もまた、宗教的象徴として長い歴史を持つ。
完全性、永遠性、神性――球はそうした概念の視覚的表現として、建築や美術の中に繰り返し登場してきた。
そして「五」という数字もまた、特別だ。
キリストの手と足と脇腹に刻まれた「五つの聖痕」。
中世の神秘思想において、五は神聖な均衡を意味する数として扱われてきた。
実際、五つの球体の宗教的解釈のひとつとして、復活祭の蝋燭(パスカルキャンドル)の伝統的な五色――天と純粋さを表す青、希望の緑、火と愛の赤、悔悛の紫、そして黄――を象徴するという説がある。 
もしそうであるなら、この五つの球は信仰の意図のもとに設置された、れっきとした宗教的モニュメントということになる。

教会の壁に刻まれた、意味不明の「五つの球体」——その起源は今も解明されていない。
(スペイン・マラガ/Iglesia de San Juan Bautista)
出典:Wikimedia Commons / Photo by Daniel Capilla
License: CC BY-SA 4.0
だが――
なぜその意味が、語り継がれていないのか。
重要な象徴ならば、説明が残るはずだ。
伝承が生まれるはずだ。
誰かが、その意味を後世に伝えようとするはずだ。
なのに、何もない。
名前だけが残り、意味だけが失われている。
別の仮説が浮かぶ。
地球の歩き方編集室 A20 地球の歩き方 スペイン 2019~2020 (地球の歩き方 A 20)
これは「信仰の象徴」ではなく――歴史の傷跡ではないか。
有力説の一つは、1487年のマラガ包囲戦にさかのぼる。カスティーリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドからなるカトリック両王が、ナスル朝の支配下にあったマラガを奪還した際の激しい攻城戦で使用された砲弾の残骸が、この球体の正体だとする説だ。この仮説によれば、教会はそれらを壁に組み込むことで、歴史的事件の証として後世に残したことになる。 
この解釈は、アンダルシアの歴史を踏まえれば説得力を持つ。
8世紀、イスラム勢力がイベリア半島に侵攻し、アンダルスと呼ばれる文明圏を築いた。
その後約700年にわたる国土回復運動(レコンキスタ)の中で、建物は何度も破壊され、改築され、塗り替えられてきた。
モスクはキリスト教の大聖堂に転用され、
イスラム建築の上に鐘楼が建てられ、
壁には支配者が変わるたびに新たな意味が書き込まれた。
サン・フアン・バウティスタ教会そのものが、マラガ征服直後の1490年に創建された教会だ。 つまりこの建物は、レコンキスタ完結の直後に建てられた「勝利の証」でもある。その壁に攻城戦の砲弾が埋め込まれていたとすれば、それは信仰の象徴ではなく、戦争の記憶が建物に刻まれた、無言の痕跡ということになる。
しかし、話はそれだけでは終わらない。
三つ目の説は、より世俗的――いや、むしろ扇情的な起源を示唆する。中世において、この球体は「娼館(マンセビア)」の場所を示す目印だったという説だ。当時、そうした施設の存在は公然の秘密として社会に組み込まれており、その所在を「さりげなく示す」ための記号が存在していたとされる。 
信仰の場のすぐそばに、欲望の目印が埋め込まれていた。
それが事実であれば、五つの球体は宗教的純粋さの象徴でも、戦争の記憶でもなく、
人間の二重性そのものを壁に刻んだ存在ということになる。
さらに、この謎をいっそう深くする事実がある。長年の記録の中で、球体は壁面上の位置を変えていると噂されている。 
これが何を意味するのか、現時点で広く確認できる説明は存在しない。
意図的な移動なのか。
修復工事の過程で生じた変化なのか。
それとも、誰かが何らかの理由で動かしたのか。
分からない。
ただ、球体は動いた。
そして今、誰もその理由を説明してくれない。
一部の記録や写真比較では位置の変化を指摘する見方もあるが、修復や視点差による可能性もあり、明確には確認されていない。
そして、本当に不気味なのはここからだ。
謎が「解けていない」ことは、珍しくない。
歴史の中には、未解明のまま残るものが無数にある。
しかしCinco Bolasの場合、問題は謎が未解明なことではない。
体系的な調査が、ほとんど行われていないことだ。
観光データベースに断片的な記述はある。
地元の人々はその存在を知っている。
しかし広く研究されている形跡は乏しく、
学術的に掘り下げた記録は現時点ではほぼ確認できない。
まるで暗黙の了解があるかのように、
「それ以上触れる必要はない」とでも言うように。
本来、歴史とは「説明されるもの」だ。
なぜそれが作られたのか。
誰がそれを使ったのか。
何を意味していたのか。
人間は意味を求める生き物だから、
残されたものに物語を与えようとする。
だがCinco Bolasは、その欲求を拒絶している。
砲弾かもしれない。
娼館の目印かもしれない。
宗教的象徴かもしれない。
三つの説が並立したまま、
どれが正しいかも確かめられないまま、
ただそこに存在し続ける。
「意味に満ちた場所」であるはずの教会の壁に、
意味が確定しない異物が埋め込まれているという、この逆説。
それは単なる建築の謎ではない。
人間が理解できないものを、無理に理解しようとせず、
そのまま受け入れてきた――
その証拠なのかもしれない。
理解することだけが、歴史との向き合い方ではない。
時に人間は、説明のないものを、説明のないまま、壁に残す。
今日も、マラガの強い陽光が白い壁を照らしている。
カジェ・シンコ・ボラス9番地。
1490年に建てられた教会の壁の中から、
五つの球体が外界を見つめている。
砲弾なのか、目印なのか、信仰なのか。
何のために、そこにあるのかも分からないまま。
誰かが問いかけてくるのを、
ただ、静かに――待ち続けているかのように。
Ꭲhe end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。
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