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60’sアメリカ・デトロイトの街
風が吹くと渇いた砂埃が舞い開いたままの家屋の扉の側から、のりの良いリズムを放つゼネラルエレクトリック…
そこから湧き出るモータウンのサウンドは遠く離れた日本のラジオからもその風を吹かせ人々を高揚させました。

こんにちは
retro- flamingoへようこそ‼️
今回は1960年代~人々をそのグルーブの虜にしたモータウンサウンドを取り上げてみました。
『Motown Records』の誕生
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト発祥のレコードレーベルで、1959年1月12日、黒人実業家ベリー・ゴーディ・ジュニアによって設立されました。
当時27歳だったゴーディは、元自動車工場労働者でありソングライターでもありました。彼はジャッキー・ウィルソンなどに楽曲を提供していましたが、作曲家としての印税収入の少なさに疑問を抱き、自らレーベルを立ち上げることを決意したのです。家族から800ドルを借り入れ、デトロイトのウェスト・グランド・ブールバード2648番地の小さな一軒家を購入し、そこをスタジオ兼オフィスとしました。この建物は後に「ヒッツヴィル・U.S.A.」として音楽史に名を刻むことになります。
最初はタムラ・レコード(Tamla Records)として始まり、1960年4月14日にモータウン・レコード・コーポレーション(Motown Record Corporation)となったのです。
モータウンの由来
自動車産業で知られるデトロイトの通称「Motor Town(モーター・タウン)」を短縮したものでした。
1950年代のデトロイトは、フォード、ゼネラルモーターズ、クライスラーのビッグスリーが本拠地を置く「自動車の都」として栄華を極めていました。しかし同時に、南部から仕事を求めて移住してきた多くのアフリカ系アメリカ人が暮らす街でもあったのです。ゴーディはこの産業都市のイメージと、組み立てライン方式による効率的な生産システムからインスピレーションを得て、音楽制作にも同様のアプローチを採用しました。
黒人音楽史を変えたアーティストたち
ソウルミュージックやR&B・ファンクなどブラックミュージックを発信し、ミュージックシーンに名を残す黒人アーティストが多数生まれました。
テンプテーションズ、シュープリームス、フォー・トップス、ジャクソン・ファイブ、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、マーサ・リーヴス&ヴァンデラス、グラディス・ナイト&ザ・ピップス…未だ沢山の著名なアーティストがいます!
1960年から1969年の間、『Billboard Hot 100』のトップ10に110曲以上がランクインし、トップ100には357曲が入るという驚異的な記録を達成しました。特に1966年には、トップ10ヒットの22.5%がモータウン作品という圧倒的なシェアを誇ったのです。
音楽とファッションの融合
時代を映す音楽はその当時のファッションと相まってお洒落の象徴でもあります。
日本の家庭では1960年代初頭、多くの人々の日常はテレビと同じくいつもラジオを聞いて過ごしました。米軍放送(FEN)や深夜ラジオから流れる洋楽を聴いて、日本の若者たちはスタイリッシュさを創造したのでしょう。
モータウンのアーティストたちは常にエレガントな装いで登場しました。男性グループは揃いのスーツに蝶ネクタイ、女性グループはきらびやかなイブニングドレス。この洗練されたイメージは、当時の日本の若者たちにも強い影響を与え、GS(グループ・サウンズ)ブームにもつながっていったのです。
「KISSの原則」に基づいた音楽制作
確立されたモータウンサウンドは細かに研究された念入りなアレンジによって作られていました。
モータウンのプロデューサーたちは『KISSの原則』をポリシーにしました。「KISSの原則」とは「Keep It Simple, Stupid」あるいは「Keep It Short and Simple」(簡潔に単純にしておけ)という経験的な原則で、その意味するところは、単純性(簡潔さ)は成功への鍵ということと、不要な複雑性は避けるべきということ、それを省略した言葉なのです。
シンプル イズ ベストですね!分かっていながらなかなか出来ないのが極一般でして、やはり素晴らしい理念を持って制作に当たっていたのですね。
具体的には、以下のような特徴がありました:
∙ タンバリンの多用による明るく軽快なリズム
∙ ベースラインの強調(ジェームズ・ジェマーソンによる革新的なベース)
∙ ストリングスとホーンセクションの効果的な配置
∙ コール&レスポンスの活用
∙ 2分30秒から3分程度の楽曲尺(ラジオでかかりやすい長さ)
これらは「ファンク・ブラザーズ」と呼ばれた伝説のスタジオミュージシャンたちによって支えられていました。彼らの演奏は、2002年のドキュメンタリー映画『永遠のモータウン』で改めて注目を集めました。
アーティスト養成システム
他にもアーティスト養成部門においては、上品な考え方、行動、歩き方、話し方をするようにアドバイスされ、正装をしてきちんと身なりを整えエレガントな振る舞いを身につけました。
ゴーディは「アーティスト・ディベロップメント部門」を設立し、マキシン・パウエルを責任者に据えました。ここでは歌唱力だけでなく、ステージでの立ち居振る舞い、メディア対応、食事のマナーまで徹底的に教育されたのです。
これは白人主体のポピュラー音楽市場で黒人ミュージシャンのイメージを覆すためでした。当時のアメリカは公民権運動の真っ只中。人種隔離政策が残る中で、ゴーディは「黒人音楽を白人にも受け入れられる形」で提示することで、音楽を通じた人種の壁の打破を目指したのです。
実際、モータウンは「The Sound of Young America(若いアメリカの音)」というスローガンを掲げ、人種を超えた普遍的な音楽を追求しました。この戦略は見事に成功し、モータウンのアーティストたちは黒人・白人の区別なく全米で愛されるようになったのです。
モータウンの遺産
偉大なアーティストと数々の名曲を輩出したMotown Records。その功績は緻密なまでの努力の結果だったのですね。
1972年、ゴーディは本社をロサンゼルスに移転しましたが、モータウンが確立したサウンドとビジネスモデルは音楽産業に永続的な影響を与えました。1988年にはモータウンは6,100万ドルでMCAレコードに売却され、現在はユニバーサル・ミュージック・グループの傘下にあります。
2019年には設立60周年を記念して、デトロイトの元本社「ヒッツヴィル・U.S.A.」が国定歴史建造物に指定されました。現在は博物館として一般公開され、年間数万人が訪れる音楽の聖地となっています。
先人の精巧なる作品はいつにおいても素晴らしさを失わないものです。
モータウンの風、感じてみませんか⁉️
それでは今回はこの辺で…
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
この記事があなたの明日のスパイスとなれば嬉しいです。
retro- flamingoでした。

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