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こんにちは‼️
retro flamingoへようこそ、
日本のランドマーク …と言うと多数の観光名所の中から色々と浮かびますけれど、
ランドマークタワーと言うと やはり今スカイツリーが人気でしょう。
あんなにも高い建物が着々と積み上がる光景は壮観と言う他ありません。
建築技術の高さにおどろきますよね〜
実は私 高所恐怖症でして… 高所で作業をされる鳶職の職人さんの使命感と気概には感動し尊敬いたします。
それで今回なのですがスカイツリーではなく『東京tower』を取り上げて見ようとおもいます。
日本の高度経済成長の時代(昭和33年〜)から半世紀以上東京の観光名所として君臨し 、建設された当時はパリのエッフェル塔の高さを超え 世界一の電波塔として戦後復興の日本の象徴として数多くの映画や小説の舞台となり、名場面に登場してきました。
戦後の昭和時代は、
『明日は今日より良くなる 前向きに生きる事ができる』と、多くの人々が思えた時代でした、
ゆえに とても懸命に当時を構築した人々の誠実さが垣間見れます…
東京tower建設のいきさつは、…
当時の放送事業各社は個々に電波塔を持っており自局の塔から放送を行っていました、しかしその高さは153−177m位だった為放送電波は半径70km程度しか届きませんでした。
電波の充実を図る為には鉄塔の増設なのでしたが、鉄塔の乱立は都市景観を思うと好ましくないということで電波塔を一本化する総合電波塔を建設することになったのでした。
さらにその構想はパリのエッフェル塔を超える世界最大の塔を造り、そこに展望台を設けて集客すれば、建設費は10年で元が取れると言うものでした、
構想・設計・建設と各方面の重鎮による仕事は時代の集大成を形にしました。
着工から1年3ヶ月後(543日間)の1958年12月23日
延べ人員219,335人にて完成し鉄塔本体の最上部に建設に携わった96人の技術屋の名前が刻まれた金属製の銘板が据えられています、総工費は当時の金額で30億円でした。
『東京タワー』
名称は公募し、86,269通の応募が寄せられました。
その中で 一番多かった名称は「昭和塔」(1,832通)
続いて「日本塔」 「平和塔」でした、他にも沢山の応募名称がありましたが
名称審査会に参加した、徳川夢声(とくがわ むせい・日本の弁士、漫談家、作家、俳優)が、
「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありません」と推挙し、
その結果1958年10月9日に『東京タワー』に決定しました。
当時の時代背景においてその建立に人々は耳目を集めたでしょうね〜
歌謡曲・小説・映画などに取り上げられ今尚人気は不動のものです。
今回はここ迄で、
最期までお付き合い頂きありがとうございました。
又次回お会い致しましょう
retro flamingoでした。
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