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こんにちは
retro-flamingoです。
今回は、生活必需品であるマッチと
マッチラベルの広告媒体としての役割にフォーカスしてみます。
日本では明治時代から昭和期、マッチ箱には広告や商標が描かれ様々なデザインテイストを要していました。
そのレトロでアートな様相からは時代の世相を伺えたりとコレクター心理をくすぐる要素が満載です。
近年においては、生活する上でマッチを使用することがほとんどなくなりましたが、
その歴史を少し振り返ってみましょう。
人間の生活にとって必要不可欠な火…
古代からは火打ち石や摩擦熱による発火法がありましたが、手間のかかる作業でした。
それから時を経て
1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを考案するのですが、火つけが悪かったため、
1830年フランスのソーリアが黄燐マッチを発明。
これは頭薬をどんなものに擦り付けても発火するため普及したのですが、
自然発火が起こりやすい事と黄燐に含む毒性が問題となり、健康被害を起こす事を懸念し、19世紀後半黄燐マッチは禁止されていきます、
日本では1921年(大正10年)に黄燐マッチの製造は禁止されました。
そして赤燐マッチが登場します、頭薬に赤燐を使用し、マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面をつけたもので、ヤスリに擦り付けないと発火しないので、安全マッチと言われました。
そんなマッチは用途と共にマッチ箱に希少価値を産みます。
昭和の中期には、飲食店、ホテル、喫茶店、バー、映画館、etc. 色々な場所においてあり、
利用者がフリーで持ち帰れる看板の様なものでした。
マッチ箱を持ち帰る事で、家に増えるマッチ箱には思い出を呼び戻したり、過去の行動を辿ったりすることができます。
時の流れの過程では生活の一旦に見る物で、消費して朽ちるマッチ箱に重要な観点をおいてはいないのが一般的であったでしょう、
そんなマッチの歴史の流れには、
その時の時代背景を見て取れ、様々に写されるデザイン性の美しさはコレクションしたいという衝動にかられます。
マッチによる広告効果は大きいもので、企業の商標、住所、tel、などの情報を提示し人々へ拡散する広告媒体としての役割は広く受けいれられ、文化となりました。
しかしそんなマッチもその用途からライターなどと取って変わられ、あまり見かけない物となりつつあります、
一般家庭においてマッチはなくても困らない物になったのです。
その様に変貌した時代ではありますが、
根強い愛好家が居る事とマッチ箱に魅了されるセンスを皆が持っているところから、
現代でもオリジナルの広告マッチを作る志向は残ります。
ニッチな分野ではありますが、マッチ箱の広告が醸し出すレトロ感は人々の心にとても馴染みやすく魅力の詰まったプレゼンテーションとなるのは定かでしょう。
今回はこれで、
retro-flamingoでした。
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