昭和のミステリー口裂け女

昭和のミステリー口裂け女とは…

口裂け女の都市伝説 。 時代を超えて語り継がれる恐怖の背景には何があったのか?
流言のメカニズムに迫る。考察エッセイ。

昭和の社会を席巻した流言。口裂け女という都市伝説をご存知でしょうか?日本中の誰しもを恐怖に陥れた恐ろしい女性。そのストーリーは、街角に佇み、通りすがりの人に近づくとおもむろに「私、きれい?」と尋ねる。一見誰しもが魅了される、美しい目元、しかし口元をマフラー又大きなマスクで覆った女性。一体どんな了見かと思いきや、綺麗かどうかを訪ねられる。大概の人は美人に声をかけられた事で悪い気はしない。「ひと目見るに、誰しもが魅了されるその美貌に「きれいです!」と答えたならば、彼女は突然マスクを外し、耳まで裂けた口を見せ「これでもかい?」とひとみをランランと輝かせて口を大きく開く。この世のモノとは思えないその形相に、悲鳴を上げ、腰を抜かさんばかりに逃げ惑う事必死だ。別のケースもある…「きれいじゃない」と答えた場合、刃物で切り裂かれてしまうというのだ。今でも語り継がれているこの恐怖の話は、1979年の日本、昭和時代の社会問題となり、一時的にパニックを引き起こしたことでも知られてる。

当時私は12歳だった。記憶が曖昧だが、中学生となった時期だったように思う。この頃の記憶で今も不思議に残るのは。地元新聞に掲載された記事の内容だ。その記事には口裂け女は人々を脅かしていた事で捉えられ現在留置場におり、そこで生活をしていると綴られていた。その記事を読んで子供心に少し安心した事を思い出す。あの記事は一体何だったのだろうか?新聞の掲載されていた項目が何欄だったのかまでは覚えていないのだが、まことしやかに書かれた記事は、それにとどまり、嘘か真実かという所には触れられていなかった。その存在が真実であるという認識に、ただひたすらに恐怖を与えられただけだった。当時小学生、中学生に恐怖を与えパニックを巻き起こし、社会問題となった事で少しでも人々の気持ちを和らげようとする意図があったのだろうか? 仮にも新聞にて真偽について明確にされていない点が、とても不思議でならないのだ。掲載された欄が、小説等の連載欄だったならシャレとして投稿された事も考えられるけれど、子供だった私には そこ迄の理解が及んでいなかったのだ。

口裂け女の話はそもそもどのように広まり、また、なぜそれほど恐れられたのだろうか?それを突き詰めて行くと、単なる「怖い話」以上のものが見えてくる。ここからはその背景や社会的な影響、そして伝説は時代を超えてどのように変化してきたのかを、少し深く掘り下げてみようと思う。

【口裂け女の登場と広がり】

ウィキペディアの情報によると、口裂け女の噂が最初に広がったのは、1978年、岐阜県の郡山市や神奈川県の平塚市など、一部の地域とされてる。そして翌年1979年1月26日、岐阜日日新聞にて始めてマスコミに掲載された。

そうした頃、通学途中の子どもたちが口裂け女に遭遇するという話が次々と報告され、あっという間に学校や家庭内で話題になったのだ。全く持って不思議だ!数々の遭遇事件の報告。果たしてそれらは真実であるのだろうか?メディアが虚像を作り上げているように思えてならないのだ。あくまで私の見解だが、ココイチでシックリこない点であるのだ。これらの遭遇事件の発生の情報が連ねられる事で、恐怖心は次第に増大し、集団下校が行われる事態にまで発展したのだ。子どもたちを守ろうとする親たちや学校の対応も相まって、口裂け女はただの噂を超えて、日本全国へ社会的な騒動へと成長していった。

口裂け女が恐れられた理由の一つには、その存在が非常にリアルで事実だとする報道が新聞等、メディアでまことしやかに語られた事が大きい。そして更にどこにでも現れそうな、普通の女性が突然恐ろしい姿に変わる。その不安定さが、実際に自分が遭遇する可能性を高めているように思わせたのだろう。

【伝説の元ネタ】

口裂け女の元となった話とされる伝説がいくつかある。その起源については、最初に噂が広がった岐阜県の郡上一揆に由来するという説だ。この一揆の後、多くの犠牲者が出たことで、彼らの怨念が伝説となり、時を経て口裂け女の物語に姿を変えたとする説だ。また、江戸時代に妻の不貞を知った武士がその妻を切り裂いたという話が口裂け女に結びついたとする説もある。様々な憶測は、恐ろしく広まったストーリーを、更に根拠のある実際の化け物として具現化したのだ。

この伝説の本質には「口が裂けた女性」という、非常にシンプルで普遍的な恐怖に根差したものがある。女性、美しい存在がそうでない化物と化す。古来、怪談話にて語られる化物的メインキャストは女性が多いものだ。
顔、つまり「顔つき」や「容姿」は、社会において常に注目される部位だ。それが壊れてしまうことへの恐怖や不安が、口裂け女という形で表現された。顔が裂けていることの恐怖は、見た目の崩壊だけではなく、精神的な不安定さ、つまり「正常でないもの」の象徴でもある、それを誰しもが己に当てはめた時の恐怖もリンクするにちがいないのだ、その様な要素も手伝って広範に広まったのかもしれない。社会への不安、その風潮がこういった形で化物を作り上げたのだ。

【口裂け女のキャラクター】

口裂け女というキャラクターには、さまざまなバリエーションがある。彼女が常に覆っているマスクの下には、耳まで裂けた口があるというのが基本的な描写だ。しかし、その後、彼女の姿は時折異なった形で描かれる様になつた。例えば、赤い服を着ている、肩を叩いて振り返ると切り裂かれるなど。目撃情報が増えるにつれて、口裂け女の特徴はますます恐ろしいものへと変化していったのだ。

その行動も一貫性がなく、地域ごとに異なるパターンが語られるようになった。例えば、口裂け女が通りすがりの人に「私、きれい?」と尋ねる場面は普遍的な登場シーンの台詞だが、別のバリエーションでは「ヨーグルト食べる?」という質問をしてきたという情報も見られるようになったのだ。どう答えるかによって、その後の運命が決まるという設定が、恐怖をより一層強調していく。

また、詳細な情報から口裂け女は超人的な能力を備えている事が伝えられた。100メートルを6秒で走る、又、浮遊する能力があるという話もあった。口裂け女はただの怖い存在ではなく、人間を超えた「異形の存在」として描かれることが、その存在ををさらに神秘的に、そして恐ろしいものにしたのだ。この存在からは普通の人間では逃げ切る事はできない。進化する恐怖は無敵の存在を作り上げていったのだ。

【 社会心理と口裂け女】

口裂け女の都市伝説が広まった背景には、社会的な不安や個人の孤立感があるとされる。1970年代後半は、日本は高度成長を終え、経済の発展とともに都市化が進んだ。人々は都市に集まり、情報や人間関係が希薄になりつつあった時代だったのだ。このような状況において、口裂け女という恐怖の化け物は、社会の中に潜む不安の象徴となり産まれたのだ。

特に、子どもたちに向けられた恐怖の対象としての口裂け女は、親たちの過保護な心情を引き出し、同時に社会全体の「治安の悪化」という不安を映し出していたように思われる。この頃、大衆の心が疲弊する課題が浮き彫りとなっていったのだ。都市伝説が持つ力はただの「怖い話」にとどまらず、その背景にある真実に目を向けると、時として社会の心情や精神的な不安を反映する鏡のような役割を果たしている事に行き着くのだ。

【変化と進化】

口裂け女の伝説は、時が経つにつれて少しずつ変化を遂げた。最初は顔の裂けた女性という単纯な恐怖から始まり、次第に整形手術の失敗や交通事故など、現代的な要素が絡み始めて語られた。1990年代には、口裂け女が失敗した整形手術の犠牲者であるというバージョンが登場し、さらにその伝説は韓国や中国などの中華圏にまで広がっていったとされる。

このように、口裂け女の伝説は、社会の変化や人々の心情の変化を反映しながら、時代ごとに形を変えていったのだ。

口裂け女という都市伝説は、その背後にある社会的な不安や人々の心理を深く映し出している事を述べてきた。1979年の日本社会の不安定さ、都市化、そしてその時々に生じた恐怖を反映しながら、口裂け女という存在は今なお実際に存在したかのように語り継がれている。昭和の流言は伝説となり、単なる恐怖だけではなく、 社会の変化に伴う人々が抱えた不安な心の動きが産んだ昭和の怪物ストーリーなのだ。

大衆の心理は不安的要素から時に様々な形で恐怖として虚像を作り上げる。SNSによって情報過多となった現代、大衆をひとくくりにして恐怖を与える程の事象を考えると、隕石衝突、宇宙人の存在等の話となるだろうか…
しかし、こちらの話はフィクションではないかもしれない。

最後までお付き合い頂きましてありがとうございます🕺

過去考察ブログ、retro-flamingo。

【永文さとい】のホットひと息読み切り短編エッセイシリーズからの引用です。

Kindle電子書籍にて本シリーズがよめます📚

どうぞ宜しくお願い致します。

それでは又次回お会いしましょう😍💪

chakiと言うアーチトップギター

chaki(茶木)

日本の京都にて元々コントラバスなどのアカデミックな弦楽器を制作していた工房にて、辻井士郎氏が制作を始めたアーチトップギターがその個体の美しいシルエットに魅了されている。

私がこのギターを知るきっかけになったのは、若い時分に大阪のバンド「優香団」 のコンサートに行ったのがきっかけだった、ガッツリブルースにどっぷり浸かったバンドのキャラクターは当時もだが、現在ではとても貴重な存在だったと言えるだろう。

アコースティックの楽器を抱えた4人編成のバンドは皆椅子に座って演奏する…

ライブ中は演者もアルコールを飲んでいたように記憶しているが、演奏を見る観客も勿論酒を抱えての視聴だった、自分は当時職場の先輩と2人で訪れたライブだったが、並べられたホールの折り畳み椅子に座り、スーパードライの大瓶を持ってそのまま飲みながら曲に換気した…

瓶から飲むビールがあれほど不味い物だと思ったのを強烈に思い出に残しているが

それすら彼らの演奏するブルースの病的で暗く喜びの混じったエネルギーは生きている事なる悲しさや寂しさまた明暗である人の根源のような空間へ誘う材料となった。

ブルースとはそう言う物であるのだ…

若い頃にはただ酒を煽って鑑賞するだけの単なる非日常の一幕として出かけた一時だったが、

その経験は長い時間忘れながら、何故だろう、年を重ねて「ふっと」

思い出される…

古臭い個の人生においてセピアともなった記憶の中に微かから、

強烈に思い出される憧れがある。

それは「優香団」のギタリスト「内田勘太郎」がつまびいていたどデカいギターだ!!

当時の記憶では若い自分はプロが使うギターなのだから、高価な物なのだろうと

決めてかかっていたが、

数十年経って興味を寄せる事で分かった事は当時では決して高価な物ではなかったという事実だった。

しかしながら、時代の背景もある、現在では非常に高価な個体となったそのギターは、

唯一無二の存在となっている。

完成されたフォルムは「日本人の心を燃え上がらせる…」

これは自分の主観だけれど、

長い年月を共に完成される傷や経年変化は、まさにジャズであり、ブルースなのだだ…

年齢を重ねて知る事もあるけれど、体の老いとは裏腹に精神年齢はいかがな物なのか。

恥ずかしながら、高校生の頃ギターに憧れてアルバイトして買った安いギター。

その頃から憧れる夢は現在も変わらずに自分の中に潜在している。

時の流れの中で、紆余曲折しながらもたどり着いた、夢の面持ちは今後も

変化するのだろうか…

半世紀以上を人生に費やした今、同年代のヒーロー達には全うして星になる人も日に日に目にする様になった。

どれだけの時間が自分に残されているのか、知る由もないけれど、

まだ残る欲望のまま、このギターを迎え入れる事を決めた。

一度は手にして手放した経験もありながら、再び求める自分の愚かな過ちの心は

きっと次なる高みへ行くことが出来るのだと信じてやまないのである。

それが生きる術なのだから。

「chaki」よ…

喜びは一緒にある。

 

 

 

ブルース・リー映画 オススメ!!

 

【ブルース・リー映画オススメ!

『ブルース・リー映画でのヌンチャクシーンの華麗なスピードと完成された精神ゆえの名言』

 

【ドラゴン危機一髪】1971年

【ドラゴン怒りの鉄拳】1972年

【ドラゴンへの道】1972年

【燃えよドラゴン】1973年

【死亡遊戯】1978年

「ブルース・リーへの憧れ」

自分がブルースリーに興味を持ったのは幼少の頃だ!

「アチョー!!アっアッ!!!」

怪鳥音と命名されたブルース・リーの声が入った映画の

サントラ盤死亡遊戯のLPレコードを中学生の頃に買った。

僕が中学生の頃…

当時1983年辺りのお話をする…

中学生の僕はブルース・リーに憧れ

空手道場に通い、当時ジャックと言われ日本のアクションシーンを

取り仕切っていた千葉真一氏のプロダクションに応募したこともある…

とてもミーハーな青年だった!

友人の家が電気屋さんを営んでおり、

家にはないビデオデッキがあり

そこでドラゴンへの道を食い入るように見た!

何度も何度も友人の家で…

もちろん友人も一緒に、

友人も空手道場に一緒に通う同士だった。

【驚愕の技のスピード】

何度も繰り返し見てイメージを膨らますも

自分の空手には導入したくとも

異次元のものだった。

早送りをしているのだろう

そう思う様にした、

そもそも体の筋肉美が常人離れをしたブルース・リーの

技のスピードと華麗な躍動感の美しさは

その精神の根底から違っていたのだ。

まあ、当たり前と言えば当たり前のことだが。

スターに憧れるあまりの凡人の心境を察して貰えれば幸いだ、

大多数の人は自分と同じ、そうあなたもそうだ!

お前と同じにするな!と怒る人の声を

ブロックさせて貰い話を続けさせて貰いたい。

「どうもすいません…」

ブルース・リーへの憧れカッコ良い!には

ヌンチャクを抜いて語れない!

上にあげた有名な作品においてヌンチャク技が炸裂する

ダブルヌンチャクのシーンには、痺れる!

太い鎖のヌンチャクを

両腕でヒュンヒュンと振り回し

取り囲む輩を「パン!パパ〜ン」と回し蹴りも

交えながらクルクルと回転しあっと言う間に倒す

これは「ドラゴンへの道」のシーンだ!

当時僕は同じヌンチャクを欲しかったが、

手に入れる事はできなかった。

中学生のお小遣いは少ない、

一番欲しかったのは死亡遊戯で

登場した黄色に黒のストライプが2本入ったやつ

が凄く欲しかった。

最近z世代の女の子が

ブルース・リーの映画のシーンを模した

動画を投稿していてそのリアルな

演技に感動した!

z世代の若者にもブルース・リーの異端の精神が

浸透していたとわ…

「考えるな!感じろ!」

全てに通ずる真髄をブルース・リーの言葉が諭す

精神世界からの鍛錬が強靭な肉体を作るのか

鍛錬の行き着いた先の精神なのか?

32歳と言う若さで亡くなったブルース…

並外れで早逝のスターは

死後に再び再燃する

不死鳥の様に

映像の中で躍動するのだ!!

全ては完成された魂がなしえた技の記録なのだ!

【日々何かを増やすのではなく、

日々何かを減らすのだ。

重要でないものを切り落とせ!】

最後はブルース・リーの名言で

お別れしよう!!

最後まで見て頂きありがとうございました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『原風景』に見る『心象風景』

2019年 12月 27日(金曜日)

『男はつらいよ50おかえり、寅さん』が公開された!

シリーズ50作目

第1作公開から50周年を迎える長寿シリーズは
ひとりの俳優が演じた最も長い映画シリーズとしてギネス世界記録に認定されている!

今作品を楽しみにしていた私は52歳になるのですが

逸頃からか  寅さんシリーズにハマってしまい  全てをコレクションして

思い出した様に シリーズを回し 観賞するのが一つの楽しみになっている

癒される唯一の時間に

寅さんシリーズは 絶品なのだ!

お酒も進む…

私が寅さんに取り憑かれた魅力を 上げれば 尽きないけれど

癒される 要素の中の一つを選び上げるならば

私の年代は 寅さんの 甥っ子(満男)と同じくらいであり

これ迄の私の人生の 背景を まるでビデオテープを巻き戻したかの様に

思い出させてくれ

当時の心象に 立ち帰る事が出来るところにある

長きに渡るシリーズ作品 は時代の流れを 原風景として残し

当時の世相をその移り変わりも共に思い出させてくれる

胡蝶のないドキュメント性は

根強い今日の寅さんの魅力の一である

『原風景』

懐かしさを抱くのは 人の感情の中の 癒しを誘う心象である…

過去を回想して見ると

のんびり流れていた様に感じられる時の中に 自身の成長過程の

空気感が原風景には漂っている

そして

二度と見ることの出来ない 過去の世相や街並みは 自分の中に独特の心象を描き

淀みなく過ぎゆく時に それは 曖昧になりつつ

そしていつしか

心に描く物は 現実とも ファンタジーとも取れ

ボンヤリとした物でありながら

なんだか 幼い頃の気持ちが蘇る様な…

懐かしく 愛おしい気持ちになる

それは

取り返しの付かない貴重でとても未完成な蒼い物である様に感じる

人は それぞれに 貴重な想いを持って

過去には様々な思いが置かれている事でしょう

それは良い物ばかりではないにしろ

そんな中では

この記事は 懐かしさと言うところにフォーカスして綴っている物で

自分の奥底の暖かい所を探る物です

話を戻します…

この様な感情は

『原風景』に見る『心象風景』であるのです

過去の記憶はとても曖昧に変化する物です

心象風景は記憶の中で拡張され架空を想像するまでに成る物も有り

今となっては確証の持てる様な物では有りませんが

それはどうでも良い事で

自分の中に美しく描く心象風景は

心の栄養として個人の要素であり

それらの多岐を混ぜ込む記憶が

個人をクリエイトする骨組みを作り

『人となり』と成るのではないでしょうか?

ストレスの多い現代に たまには過去に癒しを探して見ても良いのではないでしょうか

誰もが心に描く『原風景』〜『心象風景』は

古く成る程に 貴重な安らぎを運んでくれるのです。

『追憶するキネマ』