玄関で靴を脱ぐ瞬間――外の世界と家の時間を切り替えた日本人 

仕事や学校から帰ってきた人が、玄関に立つ。 靴を脱ぐ。そこでようやく、家の中へ上がる。
あまりにも普通の光景です。けれど海外に目を向ければ、靴を履いたまま室内に入る文化は珍しくありません。では、なぜ日本では家の入口で靴を脱ぐようになったのでしょうか。
そして、その数秒のあいだに、人は何を切り替えていたのでしょう。
衛生上の理由だけでは、どうも説明しきれない気がします。今回は日本家屋の構造と暮らしの形から、この小さな習慣をたどってみます。

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■ 「ただいま」の前に、靴を脱いでいた

仕事や学校から帰ってきた人が、玄関に立つ。 靴を脱ぐ。そこでようやく、家の中へ上がる。

あまりにも普通の光景です。けれど海外に目を向ければ、靴を履いたまま室内に入る文化は珍しくありません。では、なぜ日本では家の入口で靴を脱ぐようになったのでしょうか。

そして、その数秒のあいだに、人は何を切り替えていたのでしょう。

衛生上の理由だけでは、どうも説明しきれない気がします。今回は日本家屋の構造と暮らしの形から、この小さな習慣をたどってみます。

日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか:土足禁止の精神史 (新潮選書)

■ 「玄関」は、ただの入口ではなかった

日本の伝統的な住宅には、外と室内のあいだに明確な段差がありました。

外の地面 → 土間 → 上がり框 → 畳・板の間

家に入るには、この段階をひとつずつ踏んでいくことになります。土間は屋外と地続きの土の空間で、上がり框はそこから床面へ上がる段差の縁です。

ここで大切なのは、順番です。「靴を脱ぐから玄関がある」のではなく、「外と内を分ける建築の仕組みが、靴を脱ぐ習慣を支えていた」と考えたほうが、実態に近いのではないでしょうか。

ちなみに「玄関」という言葉は、もともと仏教、とくに禅の世界で「奥深い道への入口」を指す言葉だったといわれます。それが後の時代に、住宅の入口を指す言葉として広まっていきました。入口に「境目」という意味合いが早くから宿っていたことがうかがえます。

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■ なぜ日本の家では「床」が特別だったのか

次に、床に目を向けてみます。

日本の暮らしでは、床は単に「歩く場所」ではありませんでした。畳の上に座り、座布団に腰を下ろし、食事をし、布団を敷いて眠る。床そのものが、生活の舞台だったのです。

身体が直接触れる場所だからこそ、外の土や泥、雨水を持ち込まないことには、大きな意味がありました。「外で履いていたものを家の中へ持ち込まない」というルールは、暮らしの形から見て合理的だったといえます。

高温多湿な気候が影響した、という説明もよく聞かれます。ただ、ここで「日本人は清潔好きだから」と言い切ってしまうのは早計でしょう。住宅の構造と生活様式が靴を脱ぐ習慣を生み、その習慣がさらに文化として定着していった。そう考えるほうが、実像に近いはずです。

日本人なら知っておきたい日本の伝統文化 (ちくま新書 1765)

■ 「日本人は昔からずっと靴を脱いでいた」わけではない

ここで、少し立ち止まっておきます。

時代、身分、地域、住居の形式によって、履物も生活空間も大きく異なりました。たとえば畳は、もともと部屋の一部に敷くものでした。部屋全体に敷き詰める形が広がり、一般の家庭へ浸透していくのは、ずっと後の時代のことだとされています。庶民の住まいでは、土間が広く、土の上に藁などを敷いて暮らす地域もありました。

草履、下駄、足袋。日本の履物文化そのものにも、長い歴史があります。「昔の日本人は皆、玄関で靴を脱いで畳に上がっていた」という単純な絵は、正確ではないのです。

だからこの記事では、断定を避けます。史実として確かめられる範囲を土台にして、その上に「こう考えることもできる」という考察を重ねていきます。

■ 「上がる」という言葉に残った家の形

日本語には、面白い表現があります。

私たちは「家に入る」だけでなく、「家に上がる」とも言います。

これは、土間から床面へ実際に段を上がるという、住宅の構造がそのまま言葉に残ったものだと考えられます。「お上がりください」という客への声かけにも、同じ響きがあります。

「上がる」という一語のなかには、

・外と内 ・土間と床 ・靴と素足 ・公の空間と私の空間

といった境界が、静かに折り畳まれているようです。日常の言葉のなかに、昔の家の断面図が残っている。そう思うと、少し目からウロコが落ちる気がしませんか。

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■ 家の中では、身体を「ゆるめる」ことが許された

外では靴を履き、家に入ると靴を脱いで素足になる。あるいは足袋や室内履きで過ごす。

家の中は、身体を締めつけていたものを外してよい場所でした。靴だけではありません。帯を緩める。着物を着替える。仕事着から普段着へ変える。風呂に入る。布団に入る。

こうした行動をひと続きの流れとして眺めると、昔の「帰宅」とは、外での服装や身体の状態を、少しずつ解いていく時間だったとも考えられます。

家に帰るとは、場所を移動するだけでなく、身体を「家の状態」へ戻していくことだった。そう捉えてみると、玄関で靴を脱ぐという動作の重みが、少し違って見えてきます。

■ 靴を脱ぐことは、「外の自分」を脱ぐことだったのか

ここが、この記事でいちばん考えてみたいところです。

もちろん、昔の人が「靴を脱げば精神的にリラックスできる」と明確に考えていた、という史料があるわけではありません。ですから断定はしません。

それでも、こうは考えられないでしょうか。

仕事や学校といった外の社会から、家へ。家から、家族へ。そして食事、団らん、睡眠へ。この生活の切り替えが、門をくぐり、玄関に入り、靴を脱ぎ、床へ上がるという身体の動作と結びついていた可能性です。

靴を脱ぐ。足を床につける。家の中へ上がる。

この単純な動作が、結果として「ここからは家の時間」という境界を、身体に感じさせる仕組みになっていたのではないか。あくまで仮説ですが、日本家屋の構造を思うと、無理のない見方のように思えます。

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■ 玄関は「境界」だった

日本の家の玄関には、いくつもの意味が重なっています。

・客を迎える場所 ・家族が帰ってくる場所 ・靴を脱ぐ場所 ・外と内を分ける場所 ・公の空間と私的な空間を分ける場所

家の最初の部屋は、実は「境界」だった。そう言い換えてもいいかもしれません。玄関が日本の住文化を象徴する場所として語られてきたのも、頷けます。

■ 明治以降、「脱ぐ」と「履く」は入り混じった

明治に入ると、洋装とともに革靴が広まり、洋館では靴を履いたまま室内で過ごす暮らしも登場しました。一方で、和室のある住まいでは玄関で靴を脱ぐ習慣が続き、日本の住まいは「脱ぐ空間」と「履く空間」が併存する独特の形になっていきます。学校や病院で上履きやスリッパに履き替える光景も、その延長線上にあるのかもしれません。

玄関で靴を脱ぐことは、変わらない伝統というより、暮らしの変化のなかで選び取られ、続けられてきた習慣だったとも言えそうです。

■ 現代の私たちは、外の世界を家に持ち込んでいる

いま、帰宅しても外の世界は終わりません。

スマートフォンに仕事の通知が届く。メールが来る。ニュースが流れ込み、SNSが開く。身体は家にいるのに、意識は外に残り続けます。

もちろん、昔の人にも仕事や人間関係の悩みはありました。「昔の人にはストレスがなかった」などと言うつもりはありません。

ただ、少なくとも玄関で靴を脱ぐという「身体を使った境界の動作」が、生活のなかに組み込まれていた。現代に少なくなったのは、こうした「外と家を、身体で切り替える時間」なのかもしれません。

■ たった数秒の「余白」

靴を脱ぐ。揃える。上がる。

この数秒には、急いで処理しなければならないものが何もありません。一日の終わりに用意された、小さな儀式のようにも見えます。

現代の私たちは、この数秒さえスマートフォンを見ながら過ごしてしまうことがあります。だからといって、昔の習慣をそのまま復活させようという話ではありません。大切なのは、「生活のなかに、小さな切り替えを作る」という発想のほうです。

帰宅したら靴を脱ぐ。仕事用の服を着替える。お茶を淹れる。照明を少し落とす。そうした身体の動作が、心理的にどこまで効くのかを断定することはできません。それでも、習慣的な動作が生活の区切りになるという見方には、試してみる価値がありそうです。

昔の日本人の暮らしを礼賛したいわけではありません。そこに残っていた「切り替えの知恵」を、静かに見つめ直したいのです。

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■ エピローグ――玄関で一度、世界を置いていく

一日の仕事を終えて、帰宅する。 玄関を開ける。靴を脱ぐ。足が床に触れる。

そこで、ほんの少し立ち止まってみる。

外で起きたことは、まだ頭のなかに残っています。嫌なことも、疲れも、明日の予定も、消えはしません。

それでも、「ここからは家の時間だ」と、身体だけでも切り替えてみる。

昔の日本家屋には、そのための段差がありました。土間があり、上がり框があり、畳があった。そして、その境界を越えるために、人は靴を脱いだのです。

もしかすると、私たちが失ったのは靴を脱ぐ習慣そのものではなく、「外の世界をいったん置いてから家に入る時間」なのかもしれません。

■ 核となる一文

家に帰るとは、場所を移ることだけではなく、外の自分をそっと玄関に置いてくることだった。

The end

最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。​​​​​​​​​​​​​​​​

Thank you for reading to the end. I hope this article adds a little spice to your day tomorrow.