
大正8年、七夕の衝撃
1919年7月7日—天の川が夜空を横切るこの日、日本の飲料史に革命が起きた。
「カルピス」の誕生である。
なぜ七夕だったのか。創業者・三島海雲が選んだこの日付には、深い意味が込められていた。内モンゴルの草原で夜空を見上げたとき、彼が目にした天の川。その乳白色の輝きは、まさにカルピスの色そのものだった。「天の川のように、人々の健康を結ぶ飲み物を」-そんな願いが、この発売日に結実したのである。
時代は大正8年。第一次世界大戦が終結し、日本は「大正デモクラシー」の黄金期へと向かっていた。都市部では洋装の女性が増え、カフェ文化が花開き、人々は新しい「文化的生活」に憧れていた。
しかし、当時の日本人にとって「乳酸菌飲料」という概念は、まったく未知のものだった。牛乳すら一般家庭には浸透していない時代。白い液体を水で薄めて飲むという発想は、どれほど斬新だっただろうか。
史実から見る「カルピス誕生」の革命性
内モンゴルでの衝撃的な出会い
三島海雲がカルピスを着想したのは、1904年から1905年にかけて、内モンゴルで過ごした日々だった。
貿易商として現地に滞在していた三島は、厳しい環境の中で体調を崩していた。そんな彼を救ったのが、モンゴル遊牧民が日常的に飲んでいた「酸乳」だった。発酵させた乳製品を飲み続けるうち、三島の体調は劇的に回復。この体験が、彼の人生を変えることになる。
「この力を、日本人にも届けたい」
帰国後、三島は乳酸菌飲料の開発に没頭する。当時の日本人の平均身長は男性で160cm程度。欧米人との体格差は歴然としており、「国民の体位向上」は国家的課題でもあった。三島の志は、単なる商売を超えた社会貢献への情熱に支えられていた。
「醍醐味」への挑戦
開発には5年の歳月を要した。
三島が当初考えていた商品名は「醍醐素(だいごそ)」。仏教用語で「最上の味」を意味する「醍醐味」から取った名前だ。しかし、宗教色が強すぎるという理由で断念。最終的に、カルシウムの「カル」と、サンスクリット語で熟酥(じゅくそ)を意味する「サルピス」を組み合わせ、「カルピス」という名前が生まれた。
この命名には、三島の教養の深さが表れている。仏教の「五味」の教えでは、乳製品は「乳→酪→生酥→熟酥→醍醐」と精製され、最高位が醍醐とされる。カルピスは、その一歩手前の「熟酥」の位置づけ。謙虚さと野心が同居した、絶妙なネーミングだった。
時代の先駆者として
1919年当時、日本の食文化は転換期にあった。明治以降、肉食が解禁され、都市部では洋食文化が広がり始めていた。しかし、栄養状態は決して良好ではなく、結核が国民病として猛威を振るっていた時代でもある。
そんな中、カルピスは「滋養強壮」と「モダンさ」を両立させた、まったく新しい飲み物として登場した。瓶詰めで清潔、水で薄めるという手軽さ、そして何より、その独特の甘酸っぱい味わいは、人々に強烈な印象を与えた。
深掘り考察:「初恋の味」というコピーの戦略と魔力
伝説のキャッチコピー誕生秘話

「初恋の味」—このコピーがいつ、誰によって生み出されたのか。実は、その起源については複数の説が存在する。
最も有力な説は、1920年代に三島海雲の文学仲間によって考案されたというもの。三島は若い頃から文学を愛し、多くの文人と交流があった。その中の一人が、カルピスの味わいを表現する言葉を探していた三島に、「初恋のような味わいですね」と語ったという。
この言葉に、三島は衝撃を受けた。
当時、「初恋」という言葉自体が非常にモダンで、少しハイカラな響きを持っていた。島崎藤村の詩「初恋」(1896年)や、与謝野晶子の情熱的な短歌が話題になっていた時代。「初恋」は、新しい時代の自由な恋愛観を象徴する言葉だったのである。
感情を売った革命
それまでの飲み物の広告は、「健康」「栄養」「滋養」といった機能面を訴求するものがほとんどだった。しかしカルピスは、日本の広告史上初めて「感情・情緒」を売った商品だった。
「甘くて、酸っぱくて、少しせつない」
この味覚の言語化は、見事だった。初恋の記憶は誰にでもある。甘い期待と、酸っぱい切なさ。その複雑な感情を、一口の飲み物に重ね合わせる—このメタファーは、人々の心を鷲掴みにした。
大正ロマンとの共鳴
このコピーが広まった1920年代は、まさに「大正ロマン」の全盛期だった。
竹久夢二の美人画に見られるような、センチメンタルでロマンチックな美意識。カフェで語られる恋愛談義。『婦人公論』や『主婦之友』などの女性誌で語られる新しい恋愛観。こうした時代の空気が、「初恋の味」というコピーに共鳴したのである。
興味深いのは、カルピスの広告ポスターも、当時の美術潮流を取り入れていたことだ。水玉模様のパッケージデザインは、当時の前衛芸術の影響を受けている。味覚だけでなく、視覚的にも「新しさ」を表現していた。

現代との対比:薄める文化と個の多様性
「自分好みの濃さ」という元祖カスタマイズ
カルピスの最大の特徴は、「薄めて飲む」というスタイルにある。
大正・昭和の時代、カルピスは家族の団らんの象徴だった。大きな瓶を食卓に置き、母親が一人一人のグラスに注ぎ分ける。子どもは「もっと濃くして」とせがみ、父親は「薄めでいい」と言う。その濃さの調整こそが、家族のコミュニケーションであり、「家庭の味」を作り出していた。
これは、今でいう「カスタマイズ」の元祖といえる。スターバックスが「自分だけの一杯」を提供する100年近く前に、カルピスは個人の好みを尊重する飲み物として存在していたのだ。
しかし現代は、状況が大きく変わった。
1991年に発売された「カルピスウォーター」は、薄める手間を省いた「Ready to Drink」スタイル。忙しい現代人の「タイパ(タイムパフォーマンス)」重視のライフスタイルに対応した進化だった。コンビニで手に取り、すぐに飲める。この便利さは、かつての「家族で囲む大瓶」とは対照的な、個人主義的な消費スタイルを象徴している。
健康価値の再定義
カルピスの「健康」という価値も、時代とともに意味を変えてきた。
大正・昭和時代:生きるための健康
当時の日本人にとって、健康は「生きるための切実な願い」だった。結核の死亡率は人口10万人あたり200人を超え、栄養不足による体格の劣等感も深刻だった。カルピスの「乳酸菌による滋養強壮」は、文字通り命を守る力として受け止められていた。
現代:QOL(Quality of life)向上のための健康
2023年、カルピスは機能性表示食品として届出を行い、「年齢とともに低下する、認知機能の一部である記憶力を維持する」機能が認められた。ストレス社会における「自律神経」「睡眠の質」「認知機能」—現代のカルピスは、生存から生活の質(QOL)へと、健康の定義をアップデートしている。
乳酸菌「C-23ガセリ菌」の研究、「ギャバ」を配合した機能性商品の開発。科学的エビデンスに基づいた健康価値の提供は、三島海雲が内モンゴルで感じた「酸乳の力」の、100年越しの進化形なのである。
結論:カルピスが教えてくれる「不変」の価値
なぜカルピスは、100年以上も愛され続けているのか。
その答えは、スペック(機能)とストーリー(物語)の両輪にある。
カルピスは確かに、乳酸菌による健康効果という明確な機能価値を持っている。それは大正時代も、令和の時代も変わらない。しかし、カルピスを単なる健康飲料にとどめなかったのは、「初恋の味」という物語の力だった。
私たちがカルピスの一口にノスタルジーを感じるのは、それが単なる飲み物ではないからだ。
それは、夏休みの午後、縁側で飲んだ祖母の作ったカルピス。運動会の後、母が水筒に入れてくれたカルピス。初めて好きな人と一緒に飲んだ、カルピスソーダ。
カルピスは、日本人の「理想の家族」や「純粋な感情」の記憶と結びついている。そのブランド体験こそが、100年という時間を超える力の源泉なのである。

2026年の今日も、どこかで誰かが、カルピスを薄めている。
その濃さは、100年前とは違うかもしれない。飲むシーンも、飲む人も、時代とともに変わった。
でも、あの甘酸っぱい一口が呼び起こす感情は、きっと変わらない。
それが、「初恋の味」が色褪せない理由なのだ。
終わり
最後までお付き合い下さり有難う御座います。
この記事があなたの明日のスパイスとなれば幸いです。