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今回は、世界中で愛されるフライドチキンチェーン
KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)の創業者、あの白いスーツのおじさん――
ハーランド・デーヴィッド・サンダースの実像に迫ります。
店頭で穏やかにほほ笑む“カーネルおじさん”。
ケンタッキーが大好きな私…あの像が家にあったら…という夢はさておき、彼がどれほど波乱万丈の人生を歩み、いかにして世界的ブランドを築いたのか。史実に基づいて、楽しく、確かな情報で見ていきましょう。
1950年代のアメリカンダイナーをイメージしたAI生成画像こんにちは、retro-flaminngoへようこそ。
今回は、世界中で愛されるフライドチキンチェーン
KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)の創業者、あの白いスーツのおじさん――
ハーランド・デーヴィッド・サンダースの実像に迫ります。
店頭で穏やかにほほ笑む“カーネルおじさん”。
ケンタッキーが大好きな私…あの像が家にあったら…という夢はさておき、彼がどれほど波乱万丈の人生を歩み、いかにして世界的ブランドを築いたのか。史実に基づいて、楽しく、確かな情報で見ていきましょう。
まず意外な事実から。
「カーネル(Colonel)」は軍階級の“大佐”を意味しますが、サンダースは職業軍人ではありません。この称号は、ケンタッキー州への貢献者に与えられる名誉称号「ケンタッキー・カーネル(Kentucky Colonel)」です。
1935年、当時のケンタッキー州知事ルビー・ラフォン(Ruby Laffoon)からこの称号を授与されました。つまり“カーネル”は芸名でもあだ名でもなく、正式な名誉称号なのです。
私たちが親しみを込めて呼ぶ「カーネルおじさん」は、州公認の称号を持つ実業家だったのです。
サンダースは1890年9月9日、アメリカ・インディアナ州に生まれました。
6歳の時に父を亡くし、母は働きに出ます。幼いサンダースは弟妹の面倒を見ながら料理を担当するようになりました。皮肉にも、この“やむを得ない家事”が後の人生を決定づけます。
10歳で農場労働。14歳で学校を中退。
16歳で年齢を偽り陸軍に入隊(キューバ勤務の短期兵役)。
その後の職歴は圧巻です。
・鉄道機関車の助手
・ボイラー技師
・保険外交員
・フェリーボート経営
・タイヤ販売
・法律事務所の書記
など、確認されているだけで40種近い職業を経験しています。
現代では「転職が多い」と言われるかもしれません。しかし当時のアメリカは激動の時代。産業化と大恐慌を挟む社会で、多くの人が職を変えながら生き抜いていました。
サンダースは“落ち着かなかった人物”というより、“挑戦をやめなかった人物”と表現するほうが正確でしょう。
1930年、40歳になったサンダースはケンタッキー州コービンでガソリンスタンドを経営します。
ここが転機でした。
彼は給油に立ち寄る客に自家製の料理を振る舞います。ダイニングスペースを設け、「サンダース・カフェ」として本格営業を開始。
看板メニューはフライドチキンでした。
当時のフライドチキンは調理に30分以上かかるのが普通。そこで彼は1939年、圧力鍋を改良し、短時間でジューシーに仕上げる独自製法を確立します。
そして生まれたのが、11種類のハーブとスパイスを使う「オリジナル・レシピ」。
このレシピは現在も企業秘密として厳重に管理され、2社に分けて調合されているとされています。
順風満帆に見えた経営ですが、1950年代、高速道路の開通により交通ルートが変わり、サンダースの店は客足を失います。
店は閉鎖。彼は65歳。
普通なら引退を考える年齢です。
しかし彼は違いました。
圧力鍋とレシピを車に積み込み、アメリカ各地を回ってフランチャイズ契約を売り込む“営業の旅”に出ますが、そこでの反応はなかなか厳しいものでした、断られた回数は1000回以上とも言われています。
しかしそれでも彼は諦めませんでした。
やがて少しずつ契約が広がり、フランチャイズ網が急速に拡大。1964年、74歳で会社を約200万ドルで売却(現在価値で数十億円規模)。ただし彼はブランドの顔として活動を続けました。
白いスーツ、黒いリボン、山羊髭。
あの姿は、晩年のセルフプロデュースの成果でもあります。
現在、KFCは世界150か国以上で展開され、日本でもクリスマスの定番文化として根付いています。
日本法人の創業は1970年の大阪万博出店がきっかけ。そこから独自の発展を遂げました。
49歳で開発されたオリジナルチキンは、90年以上の人生を生きた創業者の後半戦の成果です。
成功は若さだけの特権ではない。
サンダースの人生は、それを雄弁に物語っています。
・苦労の少年時代
・数えきれない転職
・事業の失敗
・高齢からの再挑戦
彼の人生は、一直線の成功物語ではありません。
むしろ、遠回りの連続です。
しかしそのすべてが、後の成功の“味付け”になった。
もし彼が安定した人生だけを歩んでいたら、あの11種のスパイスは生まれなかったかもしれません。
店頭で微笑む像は、単なるマスコットではありません。
挑戦をやめなかった実業家の象徴です。
時々無性に食べたくなるあの味。
それは単なるファストフードではなく、
65歳から人生を再構築した男の物語でもあります。
今日、チキンを頬張るとき。
少しだけ思い出してみてください。
白いスーツの老人が、車で全米を回りながら営業していた姿を…
さて今夜のディナーはケンタッキーにするとしましょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました、この記事があなたの明日のスパイスとなれば嬉しいです。