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日曜日の午後。
車が消えた街に、異様な“振動”が生まれる。
原色の衣装。
拡声器から流れる音楽。
そして…
一糸乱れぬ、集団ダンス。
それは単なる「若者文化」ではなかった。
整然とした都市空間に突如現れた、制御不能な自己表現だった。
なぜ彼らは、あの場所で踊らなければならなかったのか。
竹の子族とは――
“時代が生み出した、抑圧の噴出口”と見ることもできる。
竹の子族とは何だったのか
原宿のブティック ブティック竹の子 を起点に自然発生したこの集団は、やがて歩行者天国へと流出していく。
1970年代後半から1980年代初頭。
東京・原宿の歩行者天国に、彼らは出現した。
原色のサテン生地。軍服を思わせるシルエット。民族衣装を解体したような独自の装い。そしてラジカセから流れる音楽に合わせた、完璧に揃った振り付け。
当時のメディアはそれを「奇妙な若者たち」と報じた。
だが、それは表面だけを見た解釈だ。
竹の子族は「流行」ではなかった。
彼らにとってダンスは、パフォーマンスではなかった。
それは「自己を視覚化するための装置」だった。
彼らは踊っていたのではない。
“見られること”を前提に設計された存在として、そこに立っていたのだ。
なぜ”歩行者天国”でなければならなかったのか
ここに、最初の謎がある。
ライブハウスでも、公園でも、学校の体育館でもない。
なぜ彼らは、公道を選んだのか。

歩行者天国とは何か。
それは週に一度、車社会から一時的に解放された「非日常空間」だ。国家の管理が緩む、都市の”隙間”。通行人という名の即席の観客が、意図せず舞台の客席に座らされる場所。
だが、より本質的な意味がある。
歩行者天国は――
「社会的ルールが一時的に解除された実験場」として機能していた。
閉じた空間では意味がなかった。
招待された観客の前では意味がなかった。
彼らは”公共空間そのもの”を書き換えたかった。
許可なく、チケットなく、予告なく。
日常の真ん中に割り込み、その風景を塗り替える。
それが彼らの、言葉にならない主張だった。

ブランド: GENERIC isi3 青春グラフティ 原宿竹の子族 DVD
なぜ”集団”だったのかー 個性と同調の矛盾
しかしここで、奇妙な矛盾が浮かぶ。
チームごとに統一された振り付け。揃いの衣装。一糸乱れぬリズム。
これのどこが「個性の表現」なのか。
だが―それは矛盾ではない。
個性とは、本来孤独だ。
誰にも見られない場所で「自分は特別だ」と叫んでも、それは存在しないのと同じだ。個性は、他者の視線によってはじめて輪郭を持つ。
竹の子族はそのことを、理論ではなく身体で知っていた。
だから彼らは、あえて集団を選んだ。
「個性を成立させるために、集団という舞台が必要だった」
一人では埋もれる。
だが群れることで、視線を引き寄せる。
そして群れの中で、それぞれが差異を競う。
―これは現代のSNSと、まったく同じ構造だ。
「みんなが自分らしさを発信する場所」で、自分らしさを発信する。同じ文法の中で、わずかな差異を争う。竹の子族は、デジタルが存在しない時代に、すでにその本質を体現していた。
なぜこの瞬間に爆発したのか ― 時代の空白
1970年代後半。この時代、日本は 高度経済成長期 を終え、さらに オイルショック を経て、経済と価値観の転換点にあった。
日本は、ある意味で「達成」の時代を迎えていた。
戦後の焼け野原から立ち上がり、猛烈な勢いで豊かさを追い求めた。そして気づいたら―冷蔵庫があり、テレビがあり、マイカーがあった。
物質的な目標は、達成された。
だが、その先に何があったのか。
「何者になればいいのか」という問いだけが、残った。
戦後は「生き延びること」が目標だった。
高度成長期は「豊かになること」が目標だった。
そして竹の子族の時代は――
「豊かになった先で、何を目指せばいいのか分からない時代」だった。
テレビは「理想の若者像」を流し続けた。雑誌は「センスの良い消費者」の姿を提示し続けた。
だが、それに自分を当てはめられない若者がいた。
彼らは反抗していたのではない。
むしろ逆だ。
「与えられた理想像に、自分を当てはめられなかった」
その結果、彼らはこう考えた。
―ならば、自分で自分を演出するしかない。
原宿の歩行者天国は、その答えが集積した場所だった。

なぜあれほど派手だったのか ― ファッションの意味
あの衣装は、センスではない。
原色。光沢。異文化のミックス。遠くからでも一目でそれと分かる視認性。あれは全て、意味を持って選ばれていた。
「言葉を使わない自己紹介」だったのだ。
彼らは語れなかった。
自分が何者であるか、どう生きたいか、何を求めているか―それを言語化する回路を、彼らは持っていなかった。あるいは、言語化したところで誰も聞かないと知っていた。
だから”着る”ことで語った。
衣装は鎧であり、旗であり、宣言だった。
ひと目見れば分かる。
言葉は、いらなかった。
メディアという鏡
しかしここに、見落としてはならない力学がある。
竹の子族は純粋な自然発生ではなかった。
テレビのワイドショーや情報番組がこぞって取り上げ、雑誌文化―とりわけストリートを扱う若者向け媒体が「新しい若者像」として消費した。
観客が増え、注目が集まり―彼らはより過激に、より鮮やかになっていった。
メディアという鏡によって肥大化した現象
これが竹の子族の、もう一つの正体だ。
見られることで、彼らは「より竹の子族らしく」なっていった。
観客の期待に応えるために衣装はより華やかになり、振り付けはより洗練され、集団はより統制された。
―これもまた、SNS時代のインフルエンサーと同じ構造だ。
フォロワーの反応に応じるうちに、自分が演じる「自分」に最適化されていく。本物の自己と、表現される自己の境界が、溶けていく。
竹の子族は、その原型だったのかもしれない。
なぜ消えたのか ― 「回収」という結末
1980年代半ば。竹の子族の姿は、原宿から消えていった。
ディスコ文化が台頭し、若者の熱狂は屋内へと向かった。ファッションは商業化され、「個性的な服」が店頭に並んだ。歩行者天国には規制が入り、自由な空間は狭められた。
だが―本当の理由は別にある。
竹の子族は消えたのではない。
「回収された」のだ。
原宿の路上は、ブランドショップになった。
DIYの衣装は、商品になった。
制御不能だった自由は、消費可能なカルチャーになった。
個性は、最終的に市場に吸収される。
路上で生まれた反抗も、やがてTシャツになり、雑誌の特集になり、観光資源になる。資本主義はあらゆる「野生」を飼い慣らし、値札をつけて棚に並べる。
それが、竹の子族の結末だった。
竹の子族の正体
では、竹の子族とは何だったのか。
それは――“個性の原型”である。
現代人は「自分らしさ」を語る。
だがその多くは、すでに用意されたテンプレートだ。
Instagramのフィルター越しに見た「自分らしい暮らし」。
TikTokのトレンドに乗りながら表現する「個性」。
誰もが同じプラットフォームで、同じ文法で、「自分だけの何か」を探している。
竹の子族は違った。
彼らは未完成だった。
不格好だった。
洗練されていなかった。
だからこそ―剥き出しだった。
竹の子族は、「個性がまだ商品化される前の、野生的な段階を示していた」と解釈できる。
日曜日の原宿。
今そこに、あの光景はない。
1980年代半ば、原宿の歩行者天国は規制強化と文化の変化によって、その熱狂を急速に失っていった。
だが…
SNSの中で、私たちは今も踊っている。
“誰かに見られること”を前提に。
承認を求めて。
差異を競って。
竹の子族は消えていない。
形を変えただけだ。
それは、ポケットの中の小さな画面の中で――
静かに、そして確実に、続いている。
Ꭲhe end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば幸いです
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