ペリー来航が変えた日本人の服装!明治の和洋折衷ファッションから現代和服まで完全解説

皆さん和服に興味はありますか?
特に女性の方々は、成人式の振袖、夏の浴衣、結婚式の色打掛など、人生の節目で著物に触れる機会が多いのではないでしょうか。和服は日本人の一大イベントに欠かせない民族衣裝といえます。
私自身は旅行先のホテルで浴衣を着る程度で、本格的な和装の経験はほとんどありませんでした。ただ、そういえば結婚式で一度袴を着たことがあります。若い頃は特に気に留めませんでしたが、最近は街で和服姿の方を見かけると、その美しさに目を奪われるようになりました。
そんな非日常を演出する和服…
今回は、日本人の服装がどのように変遷してきたのか、歴史的事実をもとに詳しく見ていきたいと思います。

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皆さん和服に興味はありますか?

特に女性の方々は、成人式の振袖、夏の浴衣、結婚式の色打掛など、人生の節目で著物に触れる機会が多いのではないでしょうか。和服は日本人の一大イベントに欠かせない民族衣裝といえます。

私自身は旅行先のホテルで浴衣を着る程度で、本格的な和装の経験はほとんどありませんでした。ただ、そういえば結婚式で一度袴を着たことがあります。若い頃は特に気に留めませんでしたが、最近は街で和服姿の方を見かけると、その美しさに目を奪われるようになりました。

そんな非日常を演出する和服…

今回は、日本人の服装がどのように変遷してきたのか、歴史的事実をもとに詳しく見ていきたいと思います。

明治時代の不思議なファッション

明治時代を舞台にしたドラマで、着物に中折れ帽を被った男性や、着物に袴とブーツという組み合わせの女性を見たことはありませんか?

これは史実に基づいた当時の実際のファッションでした。

黒船来航と日本の開国

1853年(嘉永6年)、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が浦賀に来航しました。この歴史的事件を契機に、約200年続いた鎖国政策が終わりを告げ、日本は開国へと舵を切ることになります。

1854年の日米和親条約、1858年の日米修好通商条約締結を経て、横浜、長崎、函館などが開港。外国人居留地が設けられ、日本人は初めて本格的に西洋文化と接触することになりました。

政府主導の洋服普及政策

当初、一般国民の多くは外国文化に対して排他的で、「夷狄(いてき)」として忌避する傾向がありました。しかし明治政府は、近代化を推進するために西洋文化の受容が不可欠と考えていました。

そこで政府が取った戦略は、トップダウン方式での洋服普及でした。

1870年(明治3年) – 政府高官や軍人が率先して洋服を着用開始

1871年(明治4年) – 散髪脱刀令により、髷を切り洋装への移行を促進

1872年(明治5年) – 鉄道開業に伴い、駅員や車掌の制服が洋服に

1873年(明治6年) – 太政官布告により、大礼服・通常礼服が洋服と定められる

1881年(明治14年) – 警察官、郵便配達員など公務員の制服が洋服化

1886年(明治19年) – 帝国大学(現東京大学)で学生服として詰襟が導入

このように段階的に、公的機関や学校、企業で洋服が制服として採用され、和服から洋服へと移行していったのです。

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明治の「和洋折衷」ファッションの誕生

政府の方針とは別に、庶民の間では独特のスタイルが生まれました。それが「和洋折衷」ファッションです。

男性の典型的スタイル

∙ 着物に中折れ帽やシルクハット

∙ 羽織袴に革靴

∙ 着物の上から洋服のコートやマント

女性の典型的スタイル

∙ 着物に袴、足元は編み上げブーツ

∙ 矢絣(やがすり)の着物に海老茶色の袴(女学生の定番)

∙ 日傘に手袋という洋風小物との組み合わせ

この時代特有の混在スタイルは、急激な文化変容の過程で生まれた、日本独自の創造的なファッションでした。全てを一気に変えるのではなく、慣れ親しんだ和装に西洋の要素を少しずつ取り入れていく――日本人らしい柔軟な適応の姿が見て取れます。

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「着物」から「和服」へ―呼称の変化

興味深いのは、服の呼び方そのものも変化したことです。

もともと「着物」という言葉は「着る物」という意味で、衣服全般を指していました。しかし洋服が入ってきたことで、区別する必要が生じました。

そこで生まれたのが「和服」という言葉です。「和」の「服」、すなわち日本の衣服という意味で、西洋の「洋服」に対比する形で使われるようになりました。これは言語学でいう「レトロニム(遡及的命名)」の一例です。

レトロニムとは、新しい概念の登場により、従来のものを区別するために後から名付けられた言葉のこと。「アコースティックギター」(エレキギターに対して)、「地上波テレビ」(衛星放送に対して)なども同様の例です。

大正・昭和期の服装の変遷

大正時代(1912-1926)

都市部の中産階級以上では洋装が一般化。特に男性のビジネスマンはスーツが主流に。一方、女性は日常着としては依然として着物が主流で、洋装は特別な場面に限られていました。

昭和戦前期(1926-1945)

モダンガール(モガ)、モダンボーイ(モボ)と呼ばれる若者が洋装で銀座を闊歩。しかし1940年代に入ると戦時統制により、女性にはもんぺ着用が奨励されるなど、実用本位の服装に。

昭和戦後期(1945-1989)

高度経済成長期を経て、日常着としての洋服が完全に定着。着物は冠婚葬祭や特別な場面での装いとなっていきました。

現代の和服文化

21世紀の現代、和服は日常着から特別な日の装いへと位置づけが変わりました。しかし近年、新たな動きも見られます。

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現代の和服トレンド

∙ 若者によるカジュアル着物の楽しみ方

∙ アンティーク着物のリメイク

∙ 洋服とのミックススタイル

∙ SNSでの着物ファッション発信

∙ 外国人観光客の着物体験人気

まさに明治の「和洋折衷」が現代版として復活しているともいえるでしょう。

過去から学ぶ未来のヒント

日本の服装の変遷を振り返ると、決して一方的な西洋化ではなく、日本人が自分たちなりに咀嚼し、創造的に融合させてきた歴史が見えてきます。

明治の人々が和装と洋装を自由に組み合わせ、新しいスタイルを生み出したように、現代の私たちも伝統と革新を組み合わせることで、新しい価値を創造できるかもしれません。

自分が経験していない過去には、新しい発想につながるヒントが詰まっています。和服の歴史を知ることは、単なる知識の習得ではなく、未来を創造するためのインスピレーションの源なのです。

あなたも、次の特別な日には和服を着てみませんか?そこから新しい発見があるかもしれません。

今回は終わりです…

最後までお付き合い下さり有難う御座います。

この記事があなたの明日のスパイスとなれば幸いです。

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投稿者: toshi196747

1967年生 文化遺産 など先人の轍を感じる物事が好きです、又 fenderギター を愛するguitar弾きです。 愛犬cookieに癒されながら、好きな読者と記事更新に勤しんでいます。 人が宿すノスタルジーという心情には夢を含みます、そこには明日の創造へ繋がるインスピレーションを得る『温故知新』が有るのです。 どうぞ過去考察ブログ『time slip cafe retro-flamingo』よろしくお願い致します。