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こんにちは
retro-flamingoです。
今回は大阪は通天閣5階展望台にある『ビリケンさん』のユニークな出で立ちに漂うミステリアスなオーラにフォーカスします。
ビリケンさんは何処から来て⁉️
何の神様なのか…⁉️
可愛いい「ゆるキャラ」のような姿に見えどこかシニカルに見える笑顔は、何とも不思議な印象をあたえます。
今に見ることの出来るビリケンさんは主に関西に点在しており、以外の地方では知られていないところも有り…
そんな『ビリケン』の故郷は、
アメリカ合衆国ミズーリ州カンサスシティ
フローレンス・プレッツ(Florence Pretz,1885年-1969年)により1907年頃にデザインされました。
それは親友の詩人サラ・ハミルトン・バーチャルが『ザ・カナダ・ウェスト』に連載していたおとぎ話、ビリケンシリーズのキャラクターとして製作。
フローレンスは、「ビリケンが人々の希望と幸福の象徴になるようなデザインをした」と述べています。
フローレンス・プレッツは美術教師・イラストレーターであり、ジャポニズムの影響を濃厚に引く人でした。
「ジヤポニズム」とは19世紀に流行した日本趣味で
ヨーロッパにおいてその影響は広く…
中でも日本美術に影響を受けたアーティストは多く
ゴッホ、マネ、ルノワール、ゴーギャン、など他にも多数いました。
フローレンス・プレッツは幼少の頃から日本に憧れ色々な事物についてスケッチを描き、
自分の前世は日本人であったに違いないとまで語っていたそうです。
1908年5月3日 シカゴ・デイリー・トリビューン(現在のシカゴ・トリビューン、アメリカ中西部の新聞)に掲載された記事にプレッツが和服を着た写真が掲載されている。
そんなフローレンスの強い思いの込められたビリケンの、何処か不思議な印象には、
東洋色の濃い見た目に何処か異星(宇宙)的な雰囲気を感じます。
フローレンスは1908年デザイン特許を取得し、ビリケングッズの売れ行きは好調でしたが、
契約の不備からフローレンスには1ヶ月あたり30ドルしか支払われず、
失望したフローレンスはビリケンの名前を聞くのも顔を見るのも嫌になったとあります。
当時の新聞には「作者以外の全員に幸福をもたらした」と揶揄する記事が掲載されました。
そして…
日本に伝わったのは1909年(明治42年)頃でした、
大阪の繊維会社・神田屋田村商店が1911年(明治44年)に商標登録を行い、販売促進用品や商品キャラクターとして使用します。
顔はアジア人、足を突き出しての座り方はアフリカ人とされ、「足の裏をかいて笑えば願いが叶う」と謳い、
ビリケンは田村商店の商標の枠を飛び出し人気を博しました。
そして雑誌では『世界的福神』として紹介されます。
ひょんな経緯を経て人々に愛される福神は生まれたのでした。
その姿は世界に点在しアラスカや極東ロシアでも『身代わりの神』と伝えられ伝統工芸品として扱われています。
フローレンス・プレッツ、彼女がかつて失望した『ビリケン』は異国において福神となりこれからもずっと人々に愛される存在でありつずけるのでしょう。
今回はそのユニークオーラを探るべくビリケンさんの生い立ちをみてみました。
最後までお付き合い頂き有難う御座いました、
retro-flamingoでした。
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