3人はどこへ消えたのか?──1900年フラナン諸島灯台事件を一次資料で再検証する

1900年12月、スコットランド西方沖の孤島に建つ灯台から、3人の守人が忽然と姿を消した。嵐の夜、彼らは何かに怯え、日誌に狂乱の言葉を書き残した。食卓には温かい食事が残されたまま。椅子は倒れ、ドアは開け放たれていた。そして誰一人として、二度と戻らなかった──。

映画になった。詩になった。世界中の「未解決事件」リストに載り、怪奇番組の定番として消費されてきた。

だが、ここで一度立ち止まってほしい。

それは本当に、一次資料に書かれていることなのか?

今からあなたと一緒に、神話の霧を払い、記録という地面の上だけを歩いていこうと思う。

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AIイメージ画像です

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あなたはきっと、この話を知っている。

1900年12月、スコットランド西方沖の孤島に建つ灯台から、3人の守人が忽然と姿を消した。嵐の夜、彼らは何かに怯え、日誌に狂乱の言葉を書き残した。食卓には温かい食事が残されたまま。椅子は倒れ、ドアは開け放たれていた。そして誰一人として、二度と戻らなかった──。

映画になった。詩になった。世界中の「未解決事件」リストに載り、怪奇番組の定番として消費されてきた。

だが、ここで一度立ち止まってほしい。

それは本当に、一次資料に書かれていることなのか?

今からあなたと一緒に、神話の霧を払い、記録という地面の上だけを歩いていこうと思う。

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 1900年12月26日の朝、補給船が着いた

スコットランド本土から西へ約70キロ。フラナン諸島は大西洋に突き出すように浮かぶ、岩と断崖だけでできた小さな列島だ。その最高点に建てられた白亜の灯台は、1899年に完成したばかりだった。灯台守として配置されていたのは3人の男だった。主任のジェームズ・デュカット、補佐のトーマス・マーシャル、そして補欠当直のドナルド・マッカーサー。

1900年12月26日。補給船「ヘスペラス号」が島に接近したとき、灯台に異常を感じた最初の人物は、当直員のジョセフ・ムーアだった。

まず旗が上がっていなかった。到着を知らせる信号もない。桟橋のクレーンには前回の補給箱がそのまま掛かっていた。岸壁に登り、灯台のドアを開けると──誰もいなかった。

時計は動いていた。灯油もある。灯台の設備は正常に機能していた。だが3人の男は、どこにもいなかった。

これが、確認されている事実だ。ここまでは揺るがない。

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 「温かい食事」は記録にない

さて、ここからが重要だ。

あなたが今まで読んできたフラナン諸島の記事には、こんな描写があったかもしれない。「食卓には食べかけの食事が残されており、まるで食事の途中で消えたかのようだった」と。

だが、この「温かい食事」は、NLB(北方灯台委員会)の公式調査報告書には存在しない。

「椅子が倒れていた」という記述も、後年の記事で誇張・脚色された可能性が高く、公式報告には詳細な状況証拠として明記されていない。「食卓に残された朝食」という描写は、センセーショナルな二次資料を繰り返し引用するうちに、いつしか「事実」として定着してしまったものだ。

これは些細な問題ではない。なぜなら、この「温かい食事」というイメージが「突然の出来事」という印象を強化し、超常的解釈への入り口になっているからだ。

事実だけを積み上げる。それが今回のルールだ。

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 日誌の記述を「読む」前に

事件を語るうえで、灯台日誌は最も重要な一次資料として扱われてきた。そこにはトーマス・マーシャルの筆跡で、嵐と恐怖を記した文章が残されているとされている。

有名なのがこの一節だ。

「強風。デュカットは静かだ。マッカーサーは泣いている」

これを読んだ人は、閉ざされた孤島の中で、熟練の灯台守たちが何かに打ちのめされ、精神を蝕まれていく様子を想像するだろう。それは恐ろしい光景だ。

だが、ここでもう一度立ち止まらなければならない。

この「泣いている」という記述が、どの文書に由来するのかが明確でない。公式報告書に含まれる日誌の引用は限定的であり、後年の新聞報道や文学作品が独自に「補完」した可能性が指摘されている。記述の真偽を確認するためには原本への直接アクセスが必要であり、それは現在も容易ではない。

さらに、もう一つの問題がある。

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 気象記録という証人

伝説のバージョンでは、3人は凄まじい嵐に怯えていたとされている。日誌の記述もその文脈で解釈されてきた。

だが、当時の気象記録を照合すると、12月12日から15日にかけて、フラナン諸島周辺で記録的な嵐は観測されていない。

これは何を意味するのか。

3人の日誌記述が本物だとすれば、彼らを恐怖させたのは気象台に記録されるような大型嵐ではなかったことになる。しかし同時に、この気象記録の空白は別の解釈を開く。

現地調査によれば、島の西側──補給物資の揚げ場がある方向──では、海抜30メートルを超える地点に、流されたロープや箱が発見されている。大西洋の外洋から来る「うねり波」、いわゆるローグウェーブは、気象台に「嵐」として記録されることなく発生しうる。嵐がなくても、海は人を殺せる。

ここで一つのシナリオが浮かぶ。あくまで可能性として。

物資が波にさらわれそうになった。2人が回収に向かった。残った1人が規則を破り、支援のために外に出た。そして、3人全員が揃った瞬間に、巨大な波が来た──。

「これは調査報告書が最も合理的とした推論の再構成である」

だが、これも推測だ。断言はできない。

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公式調査が下した結論

調査責任者はNLBの監査官、ロバート・ミュアヘッドだった。彼は現場を詳細に調べ、関係者から証言を集め、報告書をまとめた。

その結論は、一言で言えばこうだ。

「突発的な大波による事故死」

報告書には超常的な要素は一切含まれていない。殺人の痕跡も、失踪を説明できる船の形跡も、争いの証拠も、何もなかった。ミュアヘッドは、西側の岸壁に残された物的証拠と、当時の海況の分析から、3人が海に飲まれた可能性が最も高いと判断した。

地味な結論かもしれない。しかし、それが記録が示す現実だった。

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 神話はいかにして生まれたか

1900年から数年後、この事件は文学の世界に取り込まれる。

詩人ウィルフレッド・ウィルソン・ギブソンは1912年に「Flannan Isle」という詩を書き、事件を文学的に昇華させた。この詩の中で、彼は一次資料には存在しない描写を数多く加えた。「椅子が倒れた食卓」「食べかけの食事」「不吉な沈黙」──これらの多くは、ギブソンの詩的想像力の産物だ。

そして21世紀に入ると、映画「The Vanishing」(2019年)が制作された。作品は独自の解釈で「金塊」「殺し合い」「狂気による殺人」という要素を加え、フィクションとして高い完成度を見せた。だが、それはあくまでフィクションだ。

詩と映画は嘘をついていない。ただ、創作だ。

問題は、それらが「ドキュメンタリー」的な文脈で紹介され、事実として信じられてきたことにある。

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 事実とフィクションの仕分け

ここで整理しよう。

一次資料によって確認できることは、以下のとおりだ。3人の灯台守は1900年、灯火が最後に確認された12月15日夜に失踪した。灯台内部に争った形跡はなかった。船で脱出した痕跡もなかった。灯台の設備は正常に稼働していた。島の西側に波による物的損傷の痕跡があった。

一方、一次資料では確認できない、あるいは創作による可能性が高いとされているのは、「温かい食事が残されていた」という描写、「マッカーサーが泣いていた」という日誌の記述の真偽、そして「狂乱」や「祈り」をめぐる一連の叙述だ。

この仕分けは、英語圏の記事の多くが行っていない。怪談として消費されてきたこの事件には、「盛られた真実」と「薄められた事実」が入り交じっている。

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 なぜ私たちはこの事件を語り続けるのか

最後に、少し立ち止まって考えてみたい。

フラナン諸島の事件は、なぜ120年以上語り継がれるのか。それは、事件が「怖い」からではなく、「意味のある空白」を持っているからだと私は思う。

孤島。冬。閉鎖空間。3という数字。そして──誰も戻らなかった。

人は「説明可能な事故」より「説明できない消失」に、より深い恐怖を感じる。ロバート・ミュアヘッドの報告書が示す「大波による事故死」は、論理的には最も納得のいく説明だ。しかし、それはこの事件の「怖さ」を消してしまう。

だから人は、詩を書き、映画を作り、怪談として語り続ける。

それは人間の営みとして理解できる。だが、事実を愛する者は、その営みと事実を、丁寧に分けて持っていなければならない。

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今日も、フラナン諸島灯台は自動で光を放っている。

人が灯台を離れてからもう何十年も、島には誰もいない。岩と海と風だけがある。その光は、船のために海を照らし、嵐の中でも方位を示す。

だがときどき、あの冬の夜のことを考える。3人の男が最後に見た光景は、何だったのだろうかと。

海は証言しない。

波は何も語らない。

それが、この事件が今も「生きている」理由かもしれない。

—–Ꭲhe end

最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日のスパイスとなれば幸いです。

【参考資料について】

本記事は、NLB(北方灯台委員会)の公式調査報告書、当時の気象記録の分析、および先行研究を参照して執筆しています。一次資料の記述と二次資料・創作物の描写を意識的に分離しており、確認できない事実については可能性の提示にとどめています。英語圏の詳細な一次資料検証については、Flannan Isles Lighthouse事件に関する学術的論考を参照してください。

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投稿者: toshi196747

1967年生 文化遺産 など先人の轍を感じる物事が好きです、又 fenderギター を愛するguitar弾きです。 愛犬cookieに癒されながら、好きな読者と記事更新に勤しんでいます。 人が宿すノスタルジーという心情には夢を含みます、そこには明日の創造へ繋がるインスピレーションを得る『温故知新』が有るのです。 どうぞ過去考察ブログ『time slip cafe retro-flamingo』よろしくお願い致します。