
あなたは犯罪者を英雄だと思ったことがありますか?
現代社会では、盗みを働いた人物がヒーローとして讃えられることはまずありません。しかし江戸時代、ある盗賊は庶民の間で「義賊」として語り継がれ、今でも歌舞伎やドラマの主人公として愛されています。
その名は 鼠小僧次郎吉
実はこの男、「弱きを助け、強きを挫く」義賊というイメージとは程遠い、ただの盗人でした。では、なぜ彼は英雄視されたのでしょうか?
その答えは、江戸時代という社会の歪んだ構造と、そこで生きた庶民たちの鬱積した不満にありました。
伝説と史実—二つの鼠小僧
物語の中の鼠小僧
講談や歌舞伎で語られる鼠小僧次郎吉は、まさに理想の義賊です。大名屋敷に忍び込み、悪徳武士から盗んだ金を貧しい人々に分け与える。一度も人を傷つけず、弱者の味方として庶民から慕われる -そんな英雄像が、江戸時代から現代まで語り継がれてきました。
史実の次郎吉—博打狂いの盗人
しかし、歴史資料が示す真実は全く異なります。
1797年(寛政9年)、日本橋人形町で生まれた次郎吉は、元々は鳶職人でした。しかし素行不良で25歳のとき勘当され、27歳から盗人家業に手を染めます。
文政6年(1823年)から天保3年(1832年)まで、約10年間で99か所・122回もの盗みを繰り返しました。盗んだ総額は3,000両-現代の価値で約3億円を超える額です。
彼が狙ったのは武家屋敷のみ。理由は単純でした。広大で警備が手薄、そして世間体を気にして被害届を出さない。盗人にとって都合の良い標的だったのです。
では、盗んだ金はどうしたのか?自白調書には明確に記されています。「博打の資金欲しさに盗みを働いた」と。盗んだ金は博打、酒、遊興費に消え、貧しい人々に金を配ったという証拠は、歴史資料からは一切見つかっていません。
1832年5月、小幡藩屋敷で捕縛された次郎吉は、同年8月19日、市中引き回しの上、獄門(晒し首)に処せられました。
これが史実の鼠小僧次郎吉です。どこにも「義賊」の要素はありません。
なぜ泥棒が英雄になったのか—江戸社会の歪な構造
ここで疑問が生まれます。なぜ、ただの盗人が英雄視されたのか?
その答えは、江戸時代という社会システムそのものにありました。
「生まれ」が全てを決める社会
江戸幕府は、秀吉の身分制を強化し、武士を頂点とする封建的身分制度を確立しました。この制度の本質は、生まれた身分が人生の全てを決定するというものです。
農民や町人は、どんなに努力しても武士になれません。「家老の子はボンクラでも家老、貧民の子はどんなに頑張っても貧民のまま」—これが江戸社会の現実でした。
武士だけに許された特権は絶大でした。苗字帯刀(名字を名乗り、刀を持つ権利)、切捨御免(一定条件下で庶民を斬っても罪に問われない)、そして支配層として年貢を徴収する権利。
この構造的不平等が、庶民の心に深い閉塞感を生み出していたのです。
武士階級の堕落と庶民の怒り
さらに問題を深刻化させたのが、支配層である武士たちの堕落でした。
江戸時代後期、武士たちの堕落が顕著になります。役人の汚職は日常茶飯事となり、死亡した当主を「病気療養中」と偽って給料を不正受給する事例まで現れました。
財政難に陥った藩は、富裕な商人に「御用金」を要求し、見返りに苗字帯刀を許可しました。これは自ら築いた身分制度を崩す行為に他なりません。理念と現実の乖離に、庶民の不信感は高まっていきました。
1837年、元大坂奉行所与力だった大塩平八郎が武装蜂起します。役人の不正を告発するも無視され、飢饉に苦しむ民衆を救うため立ち上がったのです。この事件は、幕府の体制への信頼が決定的に崩れた象徴的な出来事でした。
天保期—庶民の苦しみが極まった時代
鼠小僧が活動し、処刑された1830年代前後は、まさに庶民の苦しみが頂点に達した時期でした。
天保の大飢饉(1833-1839年)により、全国で餓死者が続出します。米価は高騰し、年貢の負担増で農民は困窮しました。打ちこわしや一揆が多発し、天保期は江戸時代で2番目に一揆が多い時期となりました。
追い打ちをかけるように、天保の改革で庶民の娯楽まで制限され、生活はさらに圧迫されます。
こうした状況下で、武士の屋敷に堂々と忍び込む盗賊の存在は、庶民にとって特別な意味を持ち始めたのです。
大名屋敷を狙う意味—「税の再分配」という願望
鼠小僧が大名屋敷だけを狙ったことには、深い象徴的意味があります。
庶民の視点から見れば、大名屋敷に蓄えられた富は、自らが納めた年貢の集積です。大名は領地から年貢を徴収し、江戸の屋敷に富を蓄えます。厳しい取り立てに苦しむ庶民にとって、その富は「自分たちの労働の成果」に他なりません。
つまり、鼠小僧が大名屋敷を狙う行為は、武士階級の権威と徴税特権への象徴的反抗として機能したのです。
鼠小僧が富を盗み、それを貧しい人々に分け与えるという筋書きは、現実世界では起こり得ない「富の再分配」を擬似的に実現します。
史実の次郎吉が貧民に金を配らなかったとしても、物語の中でその役割を担わせることで、庶民は心理的なカタルシスを得たのです。

「物語」という間接的な抵抗手段
権力に統制できない民衆の声
武士による強固な支配体制の下、庶民が公然と異を唱えることは生命の危険を伴いました。一揆や打ちこわしは最終手段であり、高い代償を伴います。
しかし、「噂」や「物語」は違います。
権力者が法や武力で直接統制することが難しい領域で、民衆は自らの願望や不満を投影した英雄を創造し、その物語を語り継ぐことで、間接的な抵抗を試みました。
幕府が記録する「公式の歴史」とは別の、民衆による非公式な記録—それが義賊伝説だったのです。
捕縛直後から始まった伝説化
興味深いことに、次郎吉が捕まった直後から、庶民の間で「義賊」の評判が広まっていました。
講談や歌舞伎で脚色され、次郎吉は英雄として再創造されていきます。彼の墓は今も東京・両国の回向院に残り、参拝者が絶えません。江戸時代後期から現代まで、大衆文化の中で生き続けているのです。
武士階級が絶対だった社会において、単身で武家屋敷に盗みに入った次郎吉の行動は庶民にとって痛快だったのです。
たとえ博打の金欲しさであったとしても、庶民は彼の行為に「自分たちにはできない抵抗」を見たのです。
義賊が映す「普遍的な構造」
世界に共通する義賊伝説
実は義賊伝説は、日本だけの現象ではありません。
イギリスのロビン・フッド、江戸時代中期の稲葉小僧、江戸時代前期の日本左衛門 -時代も場所も異なるこれらの伝説には、共通する背景があります。
支配層の腐敗と特権の肥大化、民衆の生活苦と社会の不平等、そして「構造的不条理」への鬱積した不満です。
社会システムが生み出す不条理が限界に達したとき、人々は「義賊」という物語を必要とするのかもしれません。
現代にも通じる「義賊」のメカニズム
エンタメの世界では、反社会的な存在が、かえって庶民の味方として描かれることは珍しくありませんね。
映画やドラマに登場する「ダークヒーロー」たち。彼らは法を破りながらも、観客の共感を集めます。そこには現代社会の富の偏在と格差問題への批判が投影されているのです。
権力や既得権益へのカウンターとしての「義賊」像—この構造は、江戸時代から何も変わっていないのかもしれません。

歴史が教えてくれること
鼠小僧次郎吉という一人の盗賊が英雄視された背景には、江戸時代という社会の深い闇がありました。
固定化された身分制度による閉塞感、武士階級の特権と堕落、天保期の飢饉と経済的困窮、そして庶民が抱えた構造的な不条理への怒り—これらすべてが、「義賊」という物語を必要としたのです。
史実がどうであったかという事実そのものよりも、「なぜ人々は彼を義賊として物語る必要があったのか」という問いこそが重要です。
鼠小僧の物語は、単なる過去の伝説ではありません。それは権力者の公式見解とは別の場所で語られる民衆の本音であり、「物語」や「噂」という統制できない領域に記録される真実であり、社会の不条理に対する人々の願望と抵抗の記録なのです。
時の権力者が統制できない「噂」や「物語」といった非公式な領域にこそ、民衆の真意が記録されている。この視点は、歴史を読み解くだけでなく、現代社会の様々な現象を理解する上でも、一つの有効な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
最後に—あなたの「物語」は何ですか
「泥棒が英雄になる」—それは異常な社会の証です。
しかし同時に、どんなに強固な権力も統制できない「民衆の声」の力を示しています。
江戸時代の庶民たちは、直接的な反抗ができない中で、物語という武器を手に、社会への不満を表現しました。鼠小僧の伝説は、彼らの叫びが形を変えて響き続けているのかもしれません。
私たちが生きる現代社会にも、様々な「物語」が溢れています。ニュースで語られること、SNSで拡散されること、エンタメ作品で描かれること -それぞれの物語は、誰かの視点を、誰かの願いを、誰かの不満を映しています。
あなたは、どんな「物語」を信じますか?
そして、その物語は、誰の願いを映しているのでしょうか?
歴史を学ぶ意義は、過去を知ることだけではありません。過去の人々が直面した問題と、それに対する反応を知ることで、私たち自身が生きる「今」をより深く理解することができるのです。
鼠小僧次郎吉という一人の盗賊が英雄になった理由を紐解くことは、社会の歪みと人間の心理、そして「物語の力」を理解する旅に他なりません。
※最後までお付き合い下さり有難う御座います!
この記事が、あなたの明日を少しだけ彩るスパイスになれば嬉しいです。