
■ 顔は知られていた。それでも、誰なのかわからなかった
もし、ある子どもの顔写真が、何十万枚も街に配られ、新聞にも載り、何十年も人々の目に触れ続けたとしたら。普通なら、その子の名前は、すぐにわかるはずです。
ところが、1957年にアメリカで見つかった一人の幼い少年は、その「当たり前」を裏切りました。顔は広く知られていたのに、名前だけが、65年ものあいだ見つからなかったのです。
少年は「ボーイ・イン・ザ・ボックス(箱の中の少年)」、あるいは「アメリカの無名の子ども」と呼ばれました。そして2022年12月、ついに本名が公表されます。ジョセフ・オーガスタス・ザレリ。しかし、名前がわかっても、彼の命を奪った人物は、今も明らかになっていません。
今回は、猟奇事件として消費するのではなく、「なぜ名前にたどり着けなかったのか」「DNAは何を開き、何を開けなかったのか」という視点から、この事件を見つめ直します。
■ 1957年2月、雑木林のそばで見つかった箱
事件の発端は、1957年2月。フィラデルフィア北東部、フォックス・チェイス地区のススケハナ・ロード近くの雑木林のそばで、段ボール箱に入れられた幼い少年の遺体が見つかりました。発見は1957年2月25日とされ、少年は裸のまま箱に入れられ、激しい暴行と栄養不良の痕が確認されています。通報と警察の対応が翌日にかけて続いたため、資料によっては2月26日と書かれています。それ以前に箱を見ていた人がいたという記録もあり、日付には少し幅があります。
箱は、ベビーベッド用の品が入っていた段ボール箱でした。のちに4歳だったとわかりますが、当時の手がかりは、あまりにも乏しいものでした。
幼い子どもが暴行を受け、人目につきにくい場所に置かれた。警察は、これを殺人事件として捜査します。この記事では残酷な描写には踏み込まず、確認されている事実だけを追っていきます。
■ 写真は配られた。それでも、誰も名乗り出なかった
警察は少年の顔写真を公開し、情報を求めました。チラシは数十万枚規模で配られたと伝えられ、少年の顔は、当時のフィラデルフィア周辺でもっとも知られた「身元不明者の顔」になります。
それでも、少年を引き取りに名乗り出る人は、誰もいなかったと警察は説明しています。行方不明届も出されていなかったとされています。
当時の環境も壁になりました。全国規模の電子的な行方不明者データベースも、DNAで親族をたどる仕組みも、まだありません。たとえ少年を見かけた人が近所にいたとしても、その人と捜査がつながらなければ、情報は事件と結びつかないのです。
ここで一つ、注意しておきたい点があります。「65年間、誰も少年を知らなかった」とは言えません。確かなのは、捜査機関が、少年の名前にたどり着けなかったという事実だけです。
「写真を見たことがある」ことと、「その子が誰なのかを証明できる」ことは、まったく別でした。顔が知られていたからこそ、名前のなさが、いっそう際立っていったのです。
■ 「無名の子ども」と呼ばれた65年間
身元がわからないまま、少年は埋葬されました。墓標には「アメリカの無名の子ども」と刻まれ、遺体が見つかった日にあわせて、毎年、墓前で追悼の式が営まれてきました。1998年には遺骨が移されて再埋葬され、その際にも、将来のDNA検査に備えた試料が確保されたとされています。
事件を忘れさせなかったのは、警察だけではありません。何世代もの警察関係者がこの事件を引き継ぎ、未解決事件を再検証する民間の専門家たちも、この少年に関わり続けました。その間、数多くの情報提供や推測が寄せられた、と伝えられています。けれど、少年の身元を裏づける決定的なものは、ついに現れませんでした。
名前を知らない、ということは、捜査上の不便にとどまりません。人は名前を通して、家族とつながり、生まれた場所をたどり、自分の人生の記録を持ちます。名前がなければ、その子がどこで生まれ、誰と暮らし、何を好んだのかを、語ることさえ難しいのです。
少年は、事件の被害者として記憶されながら、一人の子どもとしては、記録の外に置かれ続けていました。
この事件の本当の怖さは、残酷さそのものよりも、静けさにあるのかもしれません。行方不明届が出ていなかったとされるこの子を、社会は長いあいだ、探す手立てを持てなかった。記録から漏れた人は、こんなにも簡単に忘れられてしまう。もちろん、家族に何があったのかはわかっていません。ここを想像で埋めることは、しません。
■ 2019年の再発掘、そしてDNAが開いた扉
転機は2019年でした。裁判所の許可を得て遺骨が再び掘り起こされ、DNA分析のための試料が採取されます。ただ、使えるDNAを取り出すまでに、およそ2年半かかったと、系譜調査の専門家は2022年の会見で説明しています。
2021年には、遺伝子を手がかりにした系譜調査が始まると、当局から発表されています。1998年の時点では、親族のDNAから家系をたどる手法は、まだ一般的ではありませんでした。当時残された試料が、数十年後に意味を持つことになったのです。
ここで使われたのが、法遺伝学的系譜調査(フォレンジック・ジェネティック・ジェネアロジー)です。DNAの特徴から、遺伝的につながりのある親族の候補を探し、家系図を組み立て、さらに出生記録などの公的記録で確かめていく手法です。報道によれば、捜査員はある女性の子ども3人の出生証明書を突き止め、そこからジョセフに絞り込みました。
ここで、誤解しやすい点があります。DNAが「名前を直接読み取った」わけではありません。DNAが示すのは遺伝的な近さです。そこに家系図と、出生記録と、地道な照合が重なって、はじめて一人の名前が浮かび上がったのです。
科学は、過去を魔法のように解き明かすわけではありません。わずかな証拠を、別の証拠につなぎ直す力を持っているだけです。けれど、その「つなぎ直す力」が、65年閉ざされていた扉を開けました。
■ 2022年12月8日、名前が戻った日
2022年12月8日、フィラデルフィア警察は、少年の身元をジョセフ・オーガスタス・ザレリと発表しました。1953年1月13日生まれで、亡くなったときは4歳、西フィラデルフィアの出身とされています。両親はすでに亡くなっており、存命のきょうだいがいるため、両親の名前は公表されませんでした。2022年11月下旬に、DNAと系譜情報によって身元が確定したと、警察が先に発表しており、名前は12月8日の記者会見で明かされました。
事件への関心があっても、遺族のプライバシーは守られるべきです。名前が戻ることと、家族の事情を詮索することは、別のことだと、この発表は静かに示しています。
発表の場でアウトロー本部長は、これは一つの章を閉じるが、同時に新しい章を開くものだ、と述べました。殺人事件の捜査は現在も続いており、警察は、当時を知る人からの情報を求めています。当時の近所の住人で、いまは70代、80代になっている人などの記憶にも、期待を寄せています。
誰が、どこで、なぜ、彼の命を奪ったのか。少年の最後の日々に何があったのか。どれも、まだわかっていません。時間は物証を傷め、記憶を薄れさせ、証言できる人を減らしていきます。ここでは、未確認の説や家族への憶測を事実のように書くことはしません。確定した事実と、わからないことを、はっきり分けて残します。
■ 名前を取り戻すことは、何を意味したのか
未解決事件の「解決」とは、犯人が捕まることだけなのでしょうか。この事件は、その問いを突きつけます。
「箱の中の少年」という呼び名は、事件を忘れないための象徴になりました。しかし同時に、少年の人生を、事件のイメージだけに閉じ込めてしまう面もありました。本名が公表されたことで、少年は、生年月日と家族を持つ、一人の子どもとして記録に戻ってきました。犯人がまだわからなくても、名前を正しく呼ぶことには、意味があります。
私たちは、事件の通り名で人を覚えがちです。「箱の中の少年」という言葉は強く、覚えやすい。だからこそ、本名を知った今、その言葉を使うときには、一人の子どもの名前も一緒に思い出したいものです。
恐怖から始まった事件が、知識によって一歩進み、最後に残るのは、「名前とは、その人が確かに生きていた証である」という気づきです。
未解決事件ファイルー連続殺人事件編ー: 異常すぎる犯行!シリアルキラーたちの世界 世界の未解決事件
■ 結び:もう、無名の子どもではない
1957年に見つかった少年は、65年の時間を経て、本名を取り戻しました。それでも、謎は残っています。だからこそ、想像で埋めず、確かな事実を積み重ね、わからないことは「わからない」と書いておく姿勢が大切です。
DNA技術は、失われた過去の一部を取り戻しました。けれど、失われた人生そのものまでは、取り戻せません。それでも、名前があれば、私たちは彼を「事件の象徴」ではなく、確かにこの世界に生まれた一人の子どもとして、思い出すことができます。
65年間、名前のなかった少年。ジョセフ・オーガスタス・ザレリという名前が、彼の生きた証として、今は残っています。
The end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。
Thank you for reading to the end. I hope this article adds a little spice to your day tomorrow.