スポンサーリンク

Harald Hoyer/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0
アンコール・ワット:密林に消えた文明を求めて (知の再発見双書 48)
■密林に眠る寺院で、恐竜が見つかった?
カンボジア北西部、シェムリアップ近郊に広がるアンコール遺跡群。その一角に、巨大な樹木の根が石造建築を包み込む寺院がある。タ・プロームだ。
この寺院の壁面に刻まれた小さな石彫が、長年、世界中の恐竜愛好家や古代文明の謎を追う人々の関心を集めてきた。丸みを帯びた胴体、その背中に並ぶ突起。写真を見た人のなかには、「これはステゴサウルスではないか」と思う人もいる。
だが、ここで一つの疑問が生まれる。もし本当に恐竜を描いたのなら、12世紀の彫刻家はその姿をどこで知ったのだろうか。
この問いは、奇妙な石彫の話にとどまらない。人類の歴史と恐竜の絶滅をめぐる科学的知識、そして人間が形に意味を見いだす仕組みにまでつながっていく。今回は、恐竜説を鵜呑みにも一蹴もせず、石に残された「わかること」と「わからないこと」を分けて辿ってみたい。

写真:Wikimedia Commons/CC0 1.0
■タ・プロームとは、どのような場所だったのか
まず、謎の舞台を確認しておこう。
タ・プロームは、クメール王朝のジャヤーヴァルマン7世(在位は1181年ごろ〜1218年ごろとされる)の時代に建立された仏教寺院である。寺院に残された碑文は西暦1186年を示し、王が亡き母を、仏教の智慧を象徴する尊格・般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)と重ねて祀ったことが記されている。
重要なのは、ここが単なる王族の記念碑ではなく、僧侶や祭祀に携わる人々、寺院を支える人々が暮らす大規模な宗教施設だったという点だ。碑文には、寺院に奉仕する人々の数や、財産・物資に関する記録が刻まれていると伝えられる。
石に彫られた動物や装飾も、こうした宗教的・文化的な世界のなかで考える必要がある。
アンコールの王都は15世紀ごろから次第に政治の中心ではなくなり、タ・プロームも密林にのみ込まれていった。20世紀に入ってフランス極東学院などが調査と保存を進めたが、この寺院では、建物の崩壊を防ぎつつ、樹木と石が絡み合う景観を残す方針がとられたとされる。1992年にはアンコール遺跡群全体がユネスコの世界遺産に登録されている。
ただし、ここに一つ注意点がある。寺院の創建を記念する碑文が1186年であることと、問題の石彫が1186年に制作されたことは同じではない。石彫そのものの制作時期を断定するには、配置や様式、修復の履歴といった別の検討が必要になる。この区別は、のちほど重要になってくる。
■なぜ、その姿はステゴサウルスに見えるのか
では、問題の石彫を観察してみよう。
もっとも印象的なのは、背中に並ぶ突起である。現代人が恐竜図鑑で見慣れたステゴサウルスの背板を連想させる形状が、恐竜説の出発点になっている。
しかし、「似ている」という印象と、「同じ生物を表現している」という証拠は別物だ。
ステゴサウルスは、ジュラ紀後期に生息した草食恐竜で、背中の大きな骨板と尾の先の棘が特徴である。一方、タ・プロームの石彫については、頭部の形や尾の形状が典型的なステゴサウルスと一致しないことが、懐疑的な立場の論者から指摘されてきた。実際のステゴサウルスは、体に比して頭部が非常に小さい動物である。
さらに、突起が本当に「動物の背板」として彫られたのかという問題もある。この石彫は、動物が単独で彫られているのではなく、円形の枠のなかに、周囲の植物文様とともに表されているとされる。動物の輪郭と背景の装飾が重なり、現代人の目には、一つの生物の特徴として見えている可能性があるのだ。
読者にも、写真を拡大して、胴体、頭、脚、尾、背中の突起を一つずつ眺めてみてほしい。「確かに似ている。しかし、完全には一致しない」。その感覚こそが、この謎の入り口である。
■1186年の人々は、恐竜を知っていたのか
恐竜説が正しいとすれば、さらに大きな問題が浮かび上がる。
ステゴサウルスが生きていたのは、約1億5500万年前から1億5000万年前のジュラ紀後期とされる。タ・プロームの創建年である1186年との間には、およそ1億5000万年もの隔たりがある。
また、鳥類以外の恐竜(非鳥類型恐竜)は、約6600万年前の白亜紀末の大量絶滅で姿を消したと考えられている。現生の鳥類は恐竜の系統に属するが、ステゴサウルスのような非鳥類型恐竜が中世まで生き残っていたという科学的証拠は、現在のところ見つかっていない。
したがって、石彫がステゴサウルスに似ているという理由だけで、「12世紀の人々が生きた恐竜を観察した」と結論づけることはできない。この説を支持する論考も、主に創造論の立場から発表されてきたが、考古学・古生物学の確立した見解として扱われているわけではない。
では、恐竜説を退ければ、謎は解決するのか。必ずしもそうではない。残るのは、「ではなぜ、彫刻家はあの形を生み出したのか」という、別の興味深い問題である。
■有力な別解釈:動物と装飾が重なった可能性
恐竜説を検討する際には、別の解釈も公平に見ておきたい。
一つは、サイやイノシシなど、当時のこの地域で知られていた動物を表したという可能性。もう一つは、背中の突起に見える部分が、背景の葉の文様だったという可能性である。懐疑的な立場の研究者や論者は、おおむねこの方向で説明を試みている。
また、アンコール遺跡の彫刻には、現実の動物だけでなく、神話や宗教の世界に属する生き物や、複数の動物の特徴を組み合わせた造形も存在する。そのため、問題の石彫を「実在した動物の写実的な肖像」と決めつけること自体にも、慎重さが求められる。
ここで大切なのは、別解釈の一つを、証明なしに「正解」にしてしまわないことだ。「葉の装飾が重なっている」という説明は可能性の一つにすぎず、それだけで動物の正体が確定するわけではない。動物の種類は、現時点では未確定と見るのが誠実だろう。
どの説明が、実際の彫刻の形状、周囲の装飾、類似する別の石彫の特徴を、もっとも無理なく説明できるのか。結論を急がず、その比較を積み重ねることでしか、答えには近づけない。
■なぜ、人は石の中に恐竜を見つけるのか
ここから、考察をもう一段深めたい。
人間は、曖昧な形のなかに、自分の知っているものを見つけてしまう。雲が動物に見えたり、岩の模様が人の顔に見えたりするのと同じ現象だ。心理学では、こうした働きをパレイドリア(変像)と呼ぶ。背中の突起を見た瞬間、私たちの頭のなかにある「恐竜の姿」が、石彫に重なっているのかもしれない。
ここで見落としてはならないのは、ステゴサウルスの復元図が、近代に入ってから広く知られるようになったという事実だ。恐竜という概念そのものが科学の言葉として確立したのは、19世紀のことである。12世紀のクメール人にとって、「恐竜」という枠組みは存在しなかった。
つまり、「恐竜に見える」というのは、現代の私たちが持つ知識が生んだ発見であり、「作者が恐竜を描いた」という歴史上の主張とは、まったく別の話なのである。
これは、石彫が価値のない偽物だという意味ではない。800年以上前に作られた作品が、現代の知識を通して、新しい意味を帯び始める。その現象そのものが、じつに興味深い。

写真:Wikimedia Commons/CC BY 4.0
■現代に残された謎――石彫が語らないこと
それでも、謎がすべて消えるわけではない。
仮に12世紀のクメール人がステゴサウルスを実際に知っていたとすれば、なぜそれを裏づける、ほかの図像や記録、骨の証拠が見つかっていないのか。なぜ、一つの石彫だけが、これほど特異な解釈を生んでいるのか。
こうした疑問は、恐竜説を検討するうえで避けて通れない。実際、この石彫を恐竜の証拠とする解釈に対しては、形態の相違や、ほかのクメール美術との比較から、批判的な検討が行われている。
一方で、石彫の作者が何を意図したのかを、完全に特定できないことも、現状の限界として認めなければならない。石は、作り手の言葉を残してくれていないからだ。
わからない部分を、わからないまま残す。それは考察の失敗ではなく、信頼できる歴史記事の条件だと、私は思う。
■結び:恐竜が刻まれていなくても、謎は消えない
タ・プロームの石彫は、古代人が恐竜と共存していたことを証明するものではない。現時点では、恐竜説を裏づける十分な証拠はない。
それでも、この小さな彫刻が人々を惹きつけ続ける理由は、よくわかる。12世紀の職人が石に刻んだ形が、何世紀も後に生きる私たちの知識を刺激し、科学と歴史、そして想像力の境界について考えさせてくれるからだ。
石は多くを語らない。だからこそ、人はそこに物語を見つけようとする。
そして本当に大切なのは、最初に浮かんだ物語を結論にすることではなく、そこから一歩踏み込み、何がわかっていて、何がまだわかっていないのかを確かめることなのかもしれない。
The end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。
Thank you for reading to the end. I hope this article adds a little spice to your day tomorrow.
スポンサーリンク