猫砂が”都市の匂い”を消した日―

想像してみてほしい。
現代の部屋。
窓を閉め切っても、空気は澄んでいる。
猫が静かに歩き、毛並みを整え、トイレへと向かう。
何も特別なことは起きない。
当たり前だ。
あなたの部屋には、猫砂がある。
では、もし猫砂が存在しなかったら?
その問いを真剣に立てたとき、あなたは気づくはずだ。
現代の「猫との暮らし」は、ある一つの偶然がなければ、決して成立しなかった—と。

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ナショナル ジオグラフィック ネコは天才 私たちが夢中になる理由 (ナショナル ジオグラフィック 別冊)

エド・ロウが作った静かな生活革命

想像してみてほしい。

現代の部屋。

窓を閉め切っても、空気は澄んでいる。

猫が静かに歩き、毛並みを整え、トイレへと向かう。

何も特別なことは起きない。

当たり前だ。

あなたの部屋には、猫砂がある。

では、もし猫砂が存在しなかったら?

その問いを真剣に立てたとき、あなたは気づくはずだ。

現代の「猫との暮らし」は、ある一つの偶然がなければ、決して成立しなかった—と。

昔、猫は「外の動物」だった…

(20世紀前半まで猫は屋外飼育が主流(特に欧米))

今でこそ、猫は「室内で飼うもの」という認識が当たり前になっている。

しかし、少し前の時代を想像してほしい。

猫は家の中で寝ていても、用を足すのは外だった。

外へ出る。土を掘る。戻ってくる。

それが猫の”自然なサイクル”だった。

問題は、都市化が進んだ瞬間に一気に噴出した。

アパートが増える。

庭がなくなる。

猫を外に出せなくなる。

結果として人々は、室内にトイレを設けるしかなくなった。

灰を使った。砂を使った。新聞紙を敷いた。

しかし、どれも根本的な解決にはならなかった。

臭いは消えない。湿気がたまる。衛生状態が悪化する。

部屋は、じわじわと「外の自然」に侵食されていった。

これは猫の問題ではなかった。

「人間の処理能力」の問題だった。

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沖 昌之 写真集 必死すぎるネコ (タツミムック

1947年、灰の代わりに差し出された粘土

舞台は、アメリカ・ミシガン州。

エド・ロウという男が、工業用の吸着粘土を扱う会社で働いていた。

フラー土(Fuller’s Earth)と呼ばれる鉱物素材だ。

本来は、油や汚れを吸い取るための工業製品である。

ある日、近所の女性から相談を受けた。

「猫のトイレに灰を使っているのだけど、足に付いて家中が汚れてしまって」

ロウは、特に深く考えずに答えた。

「これを使ってみては?」

手渡したのは、フラー土の入った袋。

翌日、女性が戻ってきた。

感激した様子で言った。

「臭いが消えた」

その一言が、歴史を変えたとされるエピソードだ。

ロウはこの素材を「Kitty Litter(キティ・リッター)」と名付け、市場に売り出した。

最初は懐疑的な反応ばかりだった。

砂は無料で手に入るのに、なぜお金を払う必要があるのか—と。

しかしロウはペットショップを一軒一軒まわり、無料で配り、使ってもらった。

一度使った人は、もう元に戻れなかった。

なぜ猫砂は、これほどまでに広がったのか

技術的に画期的だったわけではない。

材料は鉱物だ。製造は単純だ。

では、なぜ爆発的に普及したのか。

理由は三つある。

第一に、臭いを「封じ込めた」。

フラー土は液体と臭いを強力に吸着する。

部屋の空気が、変わった。

猫がいるのに、猫の痕跡が”見えなく”なった。

第二に、手入れが劇的に簡単になった。

固まった部分だけを取り除けばいい。

汚れを「部分的に処理する」という発想が、日常の負荷を一変させた。

第三に、室内飼育が「現実になった」。

ここが最も重要な点だ。

猫砂は「便利な商品」ではなかった。

比喩的に言えば猫砂は「室内で猫を飼うための許可証」だった。

それまで”不可能”だったことが、突然”可能”になった。

その感覚が、人々の生活を塗り替えた。

都市と猫は、本来相容れない存在だった

都市は、自然を排除することで成立している。

土を舗装し、緑を管理し、川を暗渠に閉じ込める。

虫を殺し、臭いを消し、汚れを下水へと流す。

都市とは、「見えないものを見えなくする巨大な装置」と考えることもできる。

その都市の中で、猫という動物は本来、異物だった。

排泄する。臭いを出す。土を求める。

都市の「清潔さ」とは、根本的に相性が悪い。

猫砂がなければ、都市に猫は定着できなかった。

集合住宅に猫は住めなかった。

現代の「猫と人の共生」は、そもそも成立しなかった。

小さな粘土の袋が、都市と動物の共存を可能にした。

仁尾 智 猫のいる家に帰りたい

猫の「役割」が変わった

猫砂が生まれる以前、猫の役割は明確だった。

ネズミを捕ること。

穀物を守ること。

倉庫や農場の「害獣駆除係」であること。

猫は、労働動物だった。

しかし室内飼育が広がるにつれ、猫の立場は静かに変化した。

ネズミを捕らなくていい。

外に出なくていい。

働かなくていい。

猫は、「家族」になった。

この変化を可能にした最大の要因が、猫砂だ。

排泄の問題が解決されなければ、猫は「家の中に招き入れられる存在」にはなれなかった。

清潔さを保てない動物を、人は愛着の対象にしにくい。

猫砂は、動物の社会的な役割そのものを書き換えた。

一粒の粘土が起動させた産業

1947年のロウの発明(あるいは”転用”)が、何を生んだかを考えてほしい。

キャットフード市場の拡大。

動物病院の整備。

トイレ用品・爪とぎ・キャリーケースの市場。

ペット保険という概念。

そして今や、SNSを席巻する猫コンテンツ文化。

世界中で何百万匹という猫が、室内で人間と共に暮らしている。

その全ての前提に、猫砂がある。

ロウが差し出した一袋のフラー土は、ペット産業全体の起点となった。

それは偶然の発明ではなく、偶然の「転用」だった。

既にあったものを、別の文脈に置いた。

ただそれだけのことが、文化の地形を変えた。

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人類が本当に発明したもの

ここで、立ち止まって考えたい。

猫砂が解決したのは、猫の問題ではない。

人間の問題だ。

人間は、排泄という現実を「見えなくしたい」生き物だ。

下水道を整備し、トイレを個室に閉じ込め、ゴミ収集を仕組み化し、消臭剤を開発してきた。

都市という構造そのものが、「汚れを不可視化する装置」として機能している。

猫砂は、そのミニチュアだ。

部屋の中に、小さな都市の論理を持ち込んだ。

臭いを消す。汚れを固める。視界から排除する。

猫は何も変わっていない。

変わったのは、人間の「処理能力」だった。

見えなくなったものの怖さ

少し、不穏な想像をしてほしい。

もし、猫砂が突然消えたら?

ゴミ収集が止まったら?

下水が機能しなくなったら?

消臭の仕組みが全て失われたら?

都市は、あっという間に「自然」に戻る。

我々が「清潔」だと信じている空間は、実は無数の処理システムによって、かろうじて維持されている。

見えないから、問題がないように感じるだけだ。

猫砂も同じだ。

誰も意識しない。

日常の中に溶け込んでいる。

しかし、なければ部屋はたちまち”別の顔”を見せる。

清潔な空間とは、自然状態ではない。

それは、人間が意図的に作り出した”人工の状態”だ。

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静かな部屋の正体

今、日本では犬の登録頭数を猫が上回っている。

完全室内飼育が主流となり、猫はもはや「外の動物」ではない。

窓から外を眺める猫の姿は、現代の暮らしの象徴になった。

しかしその当たり前の光景の背後に、1947年の偶然がある。

近所の女性の悩みがなければ。

エド・ロウが工業用の粘土を扱っていなければ。

「これを使ってみては」という何気ない一言がなければ。

現代の猫との暮らしは、存在しなかったかもしれない。

猫砂は、便利な消耗品ではない。

それは、人間が動物との距離を、意図的に再設計した証拠だ。

臭いを消すことで、猫を「室内の存在」にした。

汚れを不可視化することで、愛着の対象にした。

排泄という自然を「処理」することで、共生を可能にした。

静かな部屋の、無臭の空気。

その当たり前の感覚は、偶然ではない。

それは、ある一人の男の選択が作り出した―“人工の沈黙”なのだ。

Ꭲhe end

最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。

風は病を運ぶ――なぜ人類は「風向き」で体調を説明してきたのか

「今日は風向きが悪いから、体がだるい」
現代人が聞けば、それは曖昧で非科学的な言い訳に思えるかもしれません。
しかし―かつてこれは”医学的常識”でした。
風は単なる気象現象ではなかった。
それは「病の原因」であり、「健康を左右する見えない力」だったのです。
なぜ人類は、目に見えない風に病の原因を見出したのか。
そして、その考えはなぜ長く信じられ続けたのか。
このテーマを掘り下げると、見えてくるのは医学の歴史だけではありません。
それは、近代医学以前の人間が世界をどう理解していたか―その思考の骨格そのものです。

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坂井 建雄 図説 医学の歴史

近代医学が否定した”空気の正体”と、消えきらない環境決定論

「今日は風向きが悪いから、体がだるい」

現代人が聞けば、それは曖昧で非科学的な言い訳に思えるかもしれません。
しかし―かつてこれは”医学的常識”でした。

風は単なる気象現象ではなかった。
それは「病の原因」であり、「健康を左右する見えない力」だったのです。

なぜ人類は、目に見えない風に病の原因を見出したのか。
そして、その考えはなぜ長く信じられ続けたのか。

このテーマを掘り下げると、見えてくるのは医学の歴史だけではありません。
それは、近代医学以前の人間が世界をどう理解していたか―その思考の骨格そのものです。

病気は「外からやってくるもの」だった

古代から中世にかけて、病気とは「体内の異常」ではありませんでした。
それは、外部からもたらされる何かでした。

空気。水。大地。そして風。

人間の体調は、自分の内側ではなく、取り巻く環境によって決定される。
この考え方は、現代でいう環境決定論にも通じる発想であり、長い時代にわたって医学の基盤を支えていました。

現代の私たちには奇妙に映るかもしれません。
しかし考えてみてください。

細菌もウイルスも、顕微鏡も存在しない時代に、突然人が倒れる理由をどう説明するのか。

目に見えるもので、説明するしかない。

だとすれば――最も合理的な答えは、「環境」でした。
体調とは自然とのバランスの結果であり、病とはそのバランスが崩れたときに起こるもの。

この前提のうえに、風の医学は生まれました。

ヒポクラテスと”風の医学”

紀元前5世紀。

西洋医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、『空気・水・場所について』という著作を残しています。

その内容は驚くほど具体的です。

都市の立地、風向き、水質、季節。
それらが住民の体質や疾病に直接影響を与えると論じています。

たとえば――
北風が吹く地域の人は体が引き締まり活動的になる。
南風の多い地域では湿気が増し、体質は軟弱になりやすい。

ここで重要なのは、風が単なる「空気の移動」として扱われていない点です。

風は「質」を持つ存在でした。
冷たさ、湿り気、乾燥――それらを運ぶ媒体として理解されていたのです。

つまりヒポクラテスにとって、風向きとは単なる気象条件ではなく、
その土地の医学的運命を決定する要素だった。

これは迷信ではありません。
当時としては、極めて観察に基づいた合理的な医学理論でした。

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ミアズマ説 ―“悪い空気”という恐怖

ヒポクラテスの思想は、中世ヨーロッパで一つの理論へと結晶します。

ミアズマ説。
(ミアズマ=瘴気、汚染された空気)

腐敗した有機物や湿地から発生する「悪い空気」が病気を引き起こす。
そしてその瘴気を人々のもとへ運ぶのが、風でした。

14世紀、ヨーロッパを襲ったペストの大流行。
人々は風向きを恐れ、風上の地域から来る人間を警戒しました。

都市設計にも影響は及びます。
建物の配置、通りの方向、下水の位置。
すべては「悪い空気を滞留させない」ためでした。

なぜ、これほどミアズマ説は支持されたのか。

理由は単純です。

  • 見えない
  • 匂う
  • 避けられない

この三条件が揃っていた。

腐敗臭のある場所で人が倒れる。
その観察事実と理論は、あまりにも一致していたのです。

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転換点 ――ロンドンのコレラ流行 (1854年)

19世紀。
この「空気の医学」に決定的な亀裂を入れた出来事があります。

ロンドンで発生したコレラの大流行。

当時、多くの医師は依然としてミアズマ説を支持していました。
しかし一人の医師が、それに疑問を持ちます。

ジョン・スノウ。

彼は感染者の分布を地図上に記録し、
ある共通点に気づきます。

患者の多くが、特定の井戸水を利用していた。

そしてその井戸の使用を止めた結果――感染は急速に収束しました。

これは何を意味するのか。

病気は「空気」ではなく、特定の原因によって伝播する。

この発見は、後に

  • ルイ・パスツール
  • ロベルト・コッホ

らによる細菌説へと繋がっていきます。

病の原因は「悪い空気」ではない。
空気中や水中に存在する、微生物だった。

ここにおいて、何千年も続いた“風の医学”は、その根拠を失います。

中本 多紀 耳は不調と美容の救急箱 首・肩こり、目の疲れ、不眠から若返りに効く!

なぜ「風」はここまで説得力を持ったのか

しかし――ここで重要な事実があります。

ミアズマ説は、完全な誤りではなかった。

強風の翌日に頭が重くなる。
湿った空気に体がだるくなる。
季節の変わり目に体調が崩れる。

これらは現代医学でも説明可能な現象です。

気圧変化や湿度は、自律神経や血管系に影響を与え、
頭痛や倦怠感を引き起こすことがあります。
いわゆる「気象病」です。

ただしここで明確に区別しなければなりません。

感染症の原因は空気そのものではなく、微生物である。
一方で、環境は体調に影響を与える要因である。

古代の人々は、正しく観察していました。
ただし、その原因の解釈を誤っていたのです。

この「半分正しい」構造こそが、
ミアズマ説を長く生き延びさせた理由でした。

それでも消えない「風と体調」の感覚

現代に生きる私たちを見てみましょう。

「気圧が低いと頭が痛い」
「梅雨は体が重い」
「風が強い日は調子が悪い」

これらの言葉は、今も日常の中に存在しています。

ミアズマ説は否定された。
しかし「環境が体調に影響する」という感覚は、消えていない。

それは単なる迷信ではなく、
人間の身体が持つ生理的反応として、今も確かに存在しています。

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人はなぜ“見えないもの”で世界を説明したがるのか

最後に、もう一つの問いを。

なぜ人間は、これほど長く「風が病を運ぶ」と信じ続けたのか。

それは医学の問題ではなく、認知の問題です。

人は、理解できない現象に対して、
説明可能な形を与えようとします。

見えない不安を、言葉に変えることで制御しようとする。

「空気が悪い」という言葉は、今も生きています。
それは物理的な意味だけではなく、
場の緊張や違和感すら表現する。

古代の医師が語った「ミアズマ」もまた、
見えない何かを理解しようとする試みだったのです。

おわりに

風は、ただの空気の流れではありませんでした。

それはかつて、病を運び、人を倒し、
都市の運命を左右する「見えない力」だった。

そして現代。
私たちはそれを科学によって解体しました。

感染症の原因は特定され、制御可能なものとなった。

しかし同時に――
環境が人の体に影響を与えるという事実そのものは、否定されていません。

気圧で頭が痛む日。
湿気に体が沈む日。

その感覚は、何千年も前の人間と同じです。

ヒポクラテスが風を記録し、
中世の人々が瘴気を恐れたとき。

彼らは愚かだったのではない。

理解できる形で、世界を説明しようとしていた。

そして私たちもまた――
名前を変えただけで、同じ世界を見ているのかもしれません。

終わり

最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。

年号が変わるたび、日本は「記憶」を書き換えてきた――改元に隠された政治の意思

昨日まで続いていた時間が、
ある日を境に「別の時代」へと切り替わる。
だが、時間そのものは連続している。
断ち切られているのは―人々の「認識」だ。
カレンダーの数字が変わり、
テレビが「新時代の幕開け」と叫び、
人々は何となく、気持ちを新たにする。
しかし、立ち止まって考えてほしい。
いったい誰が、その「区切り」を決めたのか。
そして、何のために。
改元とは、単なる時代の区切りではない。
それは国家が意図的に行う、歴史の再編集である。

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プレジデント書籍編集部 他2名 元号と日本人

昨日まで続いていた時間が、

ある日を境に「別の時代」へと切り替わる。

だが、時間そのものは連続している。

断ち切られているのは―人々の「認識」だ。

カレンダーの数字が変わり、

テレビが「新時代の幕開け」と叫び、

人々は何となく、気持ちを新たにする。

しかし、立ち止まって考えてほしい。

いったい誰が、その「区切り」を決めたのか。

そして、何のために。

改元とは、単なる時代の区切りではない。

それは国家が意図的に行う、歴史の再編集である。

元号は「文化」か、それとも「統治の装置」か

日本では現在も元号が使われ続けている。

西暦と並行して、あるいは公的な場では西暦を押しのけるようにして。

なぜ日本だけが、これほど強く元号にこだわるのか。

「日本の文化だから」

「天皇陛下との絆だから」

そう答える人は多い。

間違いではない。だが、それだけでもない。

元号には、文化的な意味と同時に、

もうひとつの顔が張り付いている。

政治的な意思、という顔が。

改元は、歴史の中で何を変えようとしてきたのか。

時代ごとにひもといていくと、

そこには繰り返されるひとつのパターンが浮かび上がる。

元号の始まりは「支配の宣言」だった

日本最初の元号は「大化」。

645年、いわゆる大化の改新で定められた。

当時の日本は、唐(とう)という超大国を手本に、

国家の制度を丸ごと作り直そうとしていた。

元号もその輸入品のひとつだった。

中国では古くから、皇帝が元号を制定する権限を持っていた。

それは単に時間に名前をつける行為ではなかった。

時間を管理する者が、世界を定義する。

そういう思想だった。

「今は新しい時代だ」と宣言することで、

過去の秩序を相対化し、自らの権力を正当化する。

元号とは「時間のラベル」ではない。

統治者が世界を再定義するための、宣言行為だったのだ。

その発想が、日本にそっくり移植された。

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災害・疫病・異変――改元は「責任のリセット」装置だった

奈良時代から平安時代にかけて、改元の頻度は驚くほど高い。

地震や疫病を理由とした改元は実際に頻発しており、奈良・平安期には数年で元号が変わることも珍しくなかった。

表向きの理由は「厄払い」だった。

新しい時代の気を呼び込み、不吉を断ち切る、というわけだ。

だが、よく考えてほしい。

地震の被害を食い止められなかった政府が、

疫病を防げなかった為政者たちが、

元号を変えることで何をリセットしようとしていたのか。

時代を変えることで、責任の所在をぼかす。

不都合な現実を「前の元号の問題だった」と切り離す。

政治の失敗や社会不安を「時代のせい」に置き換える。

「あれは昭和の話」「それは平成の問題」

現代でも私たちは無意識にこの語法を使う。

その習慣は、1000年以上前から植えつけられてきたものかもしれない。

Kインターナショナル 元号論: 元号からわかる日本の真の姿とは⁉

武士の時代――改元は「勝者の歴史書き換え」だった

中世になると、改元はさらに露骨な政治色を帯びる。

政権交代のたびに元号が変わり、

争乱が続く時代には元号が乱立した。

南北朝時代(14世紀)がその極端な例だ。

朝廷が南北に分裂し、それぞれが独自の元号を使い続けた。

「建武」「延元」「暦応」「興国」――

同じ時間の上に、複数の「正しい時代」が重なり合っていた。

これは何を意味するか。

元号とは、客観的な時間の記録ではない。

「誰が正当であるか」を主張するツールだ。

勝者の元号が歴史書に刻まれ、

敗者の元号は消えていく。

時間そのものは中立だ。

しかし元号は、中立ではない。

歴史の「正しい読み方」を、権力者が書き込む欄外の注釈――

元号とはそういうものだった。

江戸時代――安定の裏で続いた「静かな調整」

265年にわたる江戸幕府の時代。

社会は表面上、驚くほど安定していた。

それでも、改元は繰り返された。

飢饉が起きれば改元。

大火があれば改元。

民心が荒れれば改元。

幕府は元号を「社会の緩衝材」として使っていた。

人々の不安が高まると、時代は変わる。

「流れが変わった」という感覚を与える。

実際には何も変わっていなくても。

これは現代の言葉で言えば、空気のリセット操作に近い。

政策を変えるより、

制度を改めるより、

「時代が変わった」と感じさせることの方が、

場合によってはずっと効果的だ。

江戸幕府はその技術を、265年間使い続けた。

近代化と改元――国家統一のための「時間の固定」

明治維新以降、改元の性格は大きく変わった。

「一世一元の制」が導入され、

天皇一代につき元号はひとつ、と定められた。

これは一見、改元を制限する制度に見える。

だが実態は逆だ。

元号と天皇が完全に結びついたことで、

国家の時間は天皇の時間と一体化した。

天皇が生きている間は、同じ時代が続く。

それは国民の意識を、天皇の存命と結びつけることを意味する。

天皇が崩御するまで、時代は終わらない。

崩御すれば、時代が終わる。

ここで改元は、単なる区切りから進化した。

国家そのもののリズムを規定する装置へ。

国民の時間感覚を、皇室のリズムに同期させる装置へ。

戦後の改元――断絶と再出発の演出

1989年、昭和から平成へ。

昭和という時代が終わった。

それは敗戦、焼け野原、復興、高度成長、バブルを包含した、

一個の巨大な時間の塊だった。

しかし「昭和」が終わることで、

人々はその時代に「距離」を置くことができた。

戦争責任の問題は解決していない。

歴史の解釈は定まっていない。

それでも「あれは昭和の話だ」という言い方が、

ひとつの区切りとして機能した。

改元とは、過去に蓋をするための装置ではない。

しかし、過去と距離を置くための心理的装置としては、

これ以上なく機能する。

昭和から平成へ。

それは歴史の継続であると同時に、

継続を「断ち切ったかのように見せる」演出でもあった。

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平成から令和へ――現代に残る「静かな操作」

2019年の令和改元は、それまでとは違う性格を持っていた。

崩御ではなく、生前退位。

つまり、計画的な改元だった。

かつて改元は「外部の不吉に対応する」ものだった。

近代以降は「天皇の崩御に伴う」ものだった。

だが今回は、あらかじめ日程が決まっていた。

「令和元年五月一日」という日付が先にあり、

そこに向けて社会全体が「新時代の演出」を準備した。

メディアは何週間も前から盛り上がり、

人々は年号の切り替えをカウントダウンした。

もはや災害でも崩御でもない。

社会の節目として、空気の転換として、

改元が「イベント化」された。

しかし本質は変わらない。

「時代が変わった」という感覚を社会全体で共有することで、

人々の意識に新しい区切りを刻む。

その機能は、大化の改新から1400年後も、

静かに、確実に作動し続けている。

改元とは何を変えてきたのか――核心

改元で変わるのは、時間ではない。

変わるのは、記憶の整理方法だ。

変わるのは、責任の所在だ。

変わるのは、社会の空気だ。

変わるのは、国家の正当性だ。

地震が起きても、元号を変えれば「新しい時代」になる。

戦争に負けても、元号が変われば「別の時代」が始まる。

政治が行き詰まっても、時代の空気は変えられる。

現実は変わっていない。

しかし現実の「見え方」は変わる。

改元とはそういう行為だ。

事実を書き換えるのではなく、

事実の解釈枠組みを静かに塗り替える。

それが、1400年にわたって繰り返されてきた操作の正体だ。

私たちは、元号が変わるたびに

「新しい時代が来た」と感じる。

それは間違いではない。

その感覚は本物だ。

だが、その感覚は、いったいどこから来るのか。

もしかすると、それは自然に湧き出てくるものではなく、

長い歴史の中で繰り返されてきた「誘導」の蓄積なのかもしれない。

時間は連続している。

だが人間の意識は、簡単に区切られる。

そしてその境界線は、

いつも静かに、意図的に引かれてきた。

「大化」という最初の元号が刻まれた瞬間から、

今日に至るまで。

気づかないままに。​​​​​​​​​​​​​​​​

Ꭲhe end

最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。