なぜZ世代は「不便」を買うのか ― 写ルンですブームが映し出すエモ消費の正体

シャッターを押しても、画面には何も映らない。撮った写真をその場で確認することも、失敗した写真を削除することもできない。それでも今、Z世代は「写ルンです」を手に取る。

1986年に発売された使い捨てカメラ「写ルンです」は、累計出荷本数が17億本を超えるロングセラー商品だ。デジタルカメラの普及とともに一度は衰退したこの製品が、近年SNSを中心に再び脚光を浴びている。

「#写ルンです」「#filmcamera」といったハッシュタグの投稿は増え続け、若者たちが日常や旅行、ポートレートをフィルムで撮影する文化が広がっている…

なぜデジカメ・スマホ世代が、あえて「不便でコストもかかる」アナログを選ぶのか?…

この問いの答えには、Z世代の消費スタイルを理解する重要な鍵が隠されている。

シャッターを押しても、画面には何も映らない。撮った写真をその場で確認することも、失敗した写真を削除することもできない。それでも今、Z世代は「写ルンです」を手に取る。

1986年に発売された使い捨てカメラ「写ルンです」は、累計出荷本数が17億本を超えるロングセラー商品だ。デジタルカメラの普及とともに一度は衰退したこの製品が、近年SNSを中心に再び脚光を浴びている。

「#写ルンです」「#filmcamera」といったハッシュタグの投稿は増え続け、若者たちが日常や旅行、ポートレートをフィルムで撮影する文化が広がっている…

なぜデジカメ・スマホ世代が、あえて「不便でコストもかかる」アナログを選ぶのか?…

この問いの答えには、Z世代の消費スタイルを理解する重要な鍵が隠されている。

「写ルンです」ブームの現在地 ― Z世代の使い方とシーン

若年層のフィルムカメラ人気が再燃したのは2020年代に入ってからだ。10〜20代が店頭でフィルムや使い捨てカメラを購入する光景が、再び日常的に見られるようになった。

「スマホだときれいに撮れすぎちゃって、逆に面白くないんです」

都内の大学に通う22歳の女性は、そう話す。彼女が好んで撮るのは、粒状感のある、少し「粗い」写真だ。

レトロな喫茶店、夕暮れの街角、友人との何気ない瞬間。完璧すぎない写真が、かえって「その時の空気感」を残してくれると感じている。

写ルンですが使われるシーンは多岐にわたる。旅行スナップ、日常のポートレート、街の風景、古い商店街や純喫茶など「雰囲気が出る」場所での撮影が特に人気だ。

そして何より、誕生日や卒業旅行といった人生のイベントで使われることが多い。「現像が上がるまで何が写っているか分からない」というドキドキ感が、特別な日の記憶をより強く心に刻むからだ。

Z世代が感じる「エモさ」の源泉 ― 不便さ・制限・予測不能性

写ルンです人気の核心は、すぐに画像を確認できない「アナログさ」にある。スマホなら撮った瞬間に結果が分かるが、写ルンですは現像を待たなければならない。

この一見不便な特徴が、Z世代にとっては新鮮な体験になっている。

現像を待つ時間そのものが「ワクワクするイベント」になり、日常を少しだけ非日常に変える。写真屋に現像を出してから数日後、仕上がった写真を手に取る瞬間は、まるで未来の自分からの手紙を開封するような感覚だ。

デジタルの即時性に慣れた世代にとって、この「待つ楽しみ」は逆説的に貴重な体験となっている。

1本あたりの撮影枚数が限られることも、写真の価値を高めている。27枚撮りなら27回しかシャッターを切れない。この制限が、撮影者に「1枚を大切に撮る」姿勢を生み出す。

構図を真剣に考え、撮る瞬間に集中する。無限に撮ってすぐ消せるスマホ文化とは対照的に、制限があるからこそ写真が儀式化し、体験が記憶に焼き付くのだ。

「今のデジタルはきれいに撮れすぎる」という声は、Z世代の間で珍しくない。解像度が低く、粒子感や色の揺らぎがある写真が、かえって新鮮で「エモい」と受け取られている。

フィルム特有の色味・質感は、加工アプリなしで「それっぽい」雰囲気を出せる。この「完璧すぎない美しさ」が、Z世代の審美眼とマッチしているのだ。

「エモ消費」としての写ルンです ― ノスタルジアと自己表現

写ルンですブームは、より大きな消費トレンドの一部だ。それは「エモ消費」と呼ばれる、理屈や機能よりも感情的な満足や「ときめき」を重視する消費スタイルである。

興味深いのは、Z世代の多くが写ルンですの全盛期をリアルタイムで経験していないという点だ。

彼らが惹かれているのは、実際には経験していない過去への憧れ、いわば「歴史的ノスタルジア」である。昭和レトロ・平成レトロブームと軌を一にするこの現象は、純喫茶、レトロ遊園地、古い商店街など「昭和っぽさ」が提供する「エモい時間」への渇望と深く結びついている。

同時に、写ルンですはSNS世代の「自己演出ツール」としても機能している。スマホで完結する写真体験に飽きた若者が、「他とは違う自分」「センスのある自分」を演出するために写ルンですを選ぶ。

写ルンですで撮った写真をSNSに上げる行為そのものが、Z世代にとってのステータス記号になっているのだ。

ある20歳の男子学生は言う。「みんながiPhoneで撮った写真をインスタに上げてる中で、フィルムの写真を上げると『おっ、こいつ分かってるな』って思われるんですよね」…機能的価値ではなく、象徴的価値が消費を動かしている典型的な例だ。

スマホアプリ・チェキとの連動 ― デジタルとアナログのハイブリッド文化

写ルンですブームを語る上で見逃せないのが、デジタルとアナログのハイブリッド文化だ。

2017年前後から、Huji CamやDAZZなど、フィルム風の質感を再現するスマホアプリが人気を集めた。これらのアプリで「写ルンです的表現」を先に体験した世代が、次のステップとして本物の写ルンですに移行しているという流れがある。デジタルのシミュレーションが、アナログへの入り口になっているのだ。

チェキや平成のデジカメも「エモかわ」なアイテムとしてZ世代に再評価されている。特にチェキは「推し活」やイベントで重宝され、物理的な写真が「推しとの接点」として特別な価値を持つようになった。

デジタルデータにはない手触り、物質性が、記憶と感情を強く結びつける媒体として見直されているのだ。

マーケティング的読み解き ― 「不便」がブランド資産になる時代

写ルンですブームは、マーケティングの観点から見ても示唆に富んでいる。

デジタル技術が行き着くところまで行った結果、「機能的価値」だけでは差別化しにくくなった。即時性、画質、編集の自由度といった軸では、スマホに勝てる製品はほとんど存在しない。

しかし写ルンですは、別の戦場で戦っている。「時間をかける楽しさ」「1枚の重み」「予測不能性」という体験価値において、スマホを上回る魅力を提供しているのだ。

1980年代からの歴史を持つロングセラーブランドであることも、写ルンですの強みになった。本来なら「古くてダサいモノ」として忘れ去られてもおかしくなかったが、平成レトロ・昭和レトロという文化的文脈の変化により、「エモい・センスのあるアイテム」へと転換した。

カセットテープやレトロゲーム機など、他の「古いモノ」にも同様の現象が起きている。

企業が学ぶべきポイントは明確だ。「便利さ」ではなく「感情」「物語」「体験プロセス」をどう設計するかが、Z世代向けブランドの鍵になっている。

既存プロダクトでも、「不便さ」や「アナログ感」を再解釈することで、新しい価値提案やエモ消費への接続が可能なのだ。

写ルンですは、デジタル化の波に飲み込まれるどころか、その反動として新たな存在意義を獲得した。これは「便利競争」の終点を迎えた市場において、「あえて不便」という戦略が有効であることを示す好例だ。

Amazon インスタントカメラ

写ルンですが映し出す、Z世代の「時間」と「記憶」の感性

写ルンですブームは、単なるレトロブームではない。それは、Z世代が「写真」そのものよりも、その前後に流れる時間や一緒にいる人との関係を大切にしたいという感性の表れだ。

撮影する瞬間の緊張感、現像を待つ期待感、仕上がった写真を友人と見返す喜び。

写ルンですは、撮影から鑑賞まですべてのプロセスを「体験」として設計されている。この「わざわざ感」を楽しむ感性は、カメラに限らず、音楽、文具、ファッションなど、あらゆるマーケットで今後ますます重要になるだろう。

便利さの先にある豊かさとは何か。効率の対極にある価値とは何か。写ルンですを手にするZ世代は、そんな問いを私たちに投げかけているのかもしれない。​​​​​​​​​​​​​​​​

-終わり-

最後までお付き合い頂き有難う御座います!

この記事が貴方の日常のスパイスとなれば嬉しいです。

日本特有の「生きづらさ」の正体──明治時代の道徳観が今のSNSを支配している理由

SNSに溢れる”あの言葉”の正体
「努力が足りないんじゃない?」「成功している人はみんな頑張ってる」「自己責任でしょ」
SNSを開けば、こうした言葉が飛び交っています。誰かが困窮を訴えれば、必ずといっていいほど「努力不足」を指摘する声が上がる。まるで、苦しんでいる人間は努力を怠った「自業自得」の存在であるかのように。
実はこの価値観、150年前の明治日本で形作られた「通俗道徳」という思想が源流なのです。「勤勉・倹約・貯蓄を続ければ必ず成功できる」「貧困は努力不足の結果」─こうした考え方は、私たちが生まれるずっと前から、日本社会の深層に根を張っていました。
では、なぜ明治の人々はこんな過酷な道徳を受け入れたのか? そして、それは今の私たちにどう影響しているのか? 歴史を遡りながら、この問いに向き合ってみましょう。

SNSに溢れる”あの言葉”の正体

「努力が足りないんじゃない?」「成功している人はみんな頑張ってる」「自己責任でしょ」

SNSを開けば、こうした言葉が飛び交っています。誰かが困窮を訴えれば、必ずといっていいほど「努力不足」を指摘する声が上がる。まるで、苦しんでいる人間は努力を怠った「自業自得」の存在であるかのように。

実はこの価値観、150年前の明治日本で形作られた「通俗道徳」という思想が源流なのです。「勤勉・倹約・貯蓄を続ければ必ず成功できる」「貧困は努力不足の結果」──こうした考え方は、私たちが生まれるずっと前から、日本社会の深層に根を張っていました。

では、なぜ明治の人々はこんな過酷な道徳を受け入れたのか? そして、それは今の私たちにどう影響しているのか? 歴史を遡りながら、この問いに向き合ってみましょう。

明治という激動──競争社会の到来と不安

明治維新後の日本は、文字通りの「激動」の時代でした。

江戸時代まで続いた身分制度が解体され、村落共同体による相互扶助のネットワークは急速に弱体化していきます。代わりに押し寄せたのは、市場経済の波と、国民国家としての再編成。人々は突然、「自由な個人」として市場に放り出されたのです。

自由──それは希望であると同時に、恐怖でもありました。村の共同体が保証していたセーフティーネットは消え、国家の救貧制度はまだ未整備。職を失えば、家族ごと路頭に迷う時代です。実際、各地で暴動や騒擾が頻発し、社会不安は高まっていました。

そんな中で、人々は新しい「生きる指針」を求めました。どうすれば生き延びられるのか? 何を信じればいいのか?

国家と知識人たちが用意した答えが、「努力すれば誰でも成功できる」という物語だったのです。

立身出世という希望と引き換えに

「身分にかかわらず、努力次第で立身出世できる」──これは当時、革命的なメッセージでした。

江戸時代なら、生まれた家で人生のほとんどが決まっていた。それが明治では、「勤勉・倹約・禁欲」を実践すれば、農民の子でも官僚になれるかもしれない。学問を修めれば、実業家として成功できるかもしれないという希望の物語です。でも、この物語には裏があります。

「努力すれば誰でも成功できる」の裏返しは、「成功できないのは努力が足りないから」となるのです…

つまり、貧しい人間は「怠惰な人間」であり、失敗は「自己責任」だという論理が、セットで正当化されていったのです。

学校・新聞・講演会・啓蒙書──あらゆるメディアを通じて、この価値観は浸透していきました。そして、「貧者救済は共同体の責務」という前近代的な倫理観は、次第に「甘え」として否定されるようになります。

実際、明治期の言説を見ると、驚くほど冷酷な言葉が並んでいます。「貧者を救済すれば怠け者が増える」「働ける者だけを救えばよい」「貧困は本人の不徳の証」──まるで、貧しい人間は人として扱うに値しないかのような扱いです。

これが通俗道徳の核心でした。市場経済で生き抜くための「自己責任」の倫理が、社会的弱者への冷淡さを正当化する装置として機能していたのです。

「修身」という公式道徳との共鳴

一方、学校教育では「修身」という教科で、別の道徳が教えられていました。

儒教由来の「孝行・忠節・倹素・忍耐」といった徳目と、「万世一系の天皇への忠誠」という国体論的ナショナリズムを結びつけた、国家公認の道徳です。天皇を頂点とする家族国家観の中で、臣民としての義務と徳性を涵養することが目標とされました。

この「上からの道徳」と、民衆レベルで流通していた通俗道徳は、実はよく共鳴していました。

どちらも「勤勉・倹約・忍耐」を美徳とし、個人の欲望を抑制することを求めている。通俗道徳が「よき労働者」を作り、修身が「よき臣民・よき兵士」を作る──結果として、競争社会を支える自己規律と、国家への忠誠心が、二重に刷り込まれていったのです。

歴史家の安丸良夫は、この通俗道徳を「日本の近代化における民衆の主体形成」を理解する鍵として位置づけました。それは単なる「国家の洗脳」ではなく、民衆自身が近代社会を生き抜くために内面化していった規範だったのです。

だからこそ、根深い。自分で選んだと思っている価値観ほど、疑うのは難しいのですから。

通俗道徳の暗部──排除と差別の正当化

しかし、この道徳には致命的な影響がありました。

「努力しない者は救うに値しない」という論理は、貧困や障害、病気で働けない人々への差別を正当化しました。構造的な格差や不公正があっても、すべては「個人の徳性」の問題に還元される。社会の側の責任は問われず、弱者はただ「自己責任」を背負わされました。

さらに恐ろしいのは、この論理が植民地支配にも適用されたことです。「働ける者だけ救えばよい」「助ければ怠ける」──こうした人命軽視の発想が、朝鮮や台湾での統治政策にも反映されていきます。

通俗道徳は、競争に勝ち抜く者だけが価値を持つ社会を作りました。そして、勝てない者・弱い者は、存在すら軽んじられる社会を生み出したのです。

現代の自己責任論へ──連続と断絶

では、現代の「自己責任論」は、明治の通俗道徳とどうつながっているのでしょうか?

連続する部分

努力信仰: 「頑張れば報われる」という物語への強い執着

貧困の個人化: 社会構造の問題を、個人の能力・意欲の問題にすり替える思考パターン

弱者への冷淡さ: 「自業自得」という言葉で、困窮者への共感を遮断する傾向

これらは驚くほど似ています。SNSで「努力不足」と他人を切り捨てる言葉を見るたび、150年前の通俗道徳が姿を変えて生き続けていることを感じます。

断絶している部分

もちろん、違いもあります。現代には曲がりなりにも社会保障制度があり、人権思想も浸透しています。グローバル資本主義の規模も、明治とは比較になりません。

しかし同時に、格差は拡大し、非正規雇用は増え、「頑張っても報われない」現実が広がっています。にもかかわらず、「自己責任」の物語だけが残り続けている。これは、明治よりもさらに過酷な状況かもしれません。

なぜなら明治の人々には、まだ「努力すれば報われるかもしれない」という希望がありました。でも今は、多くの人が「努力しても報われない」ことを知りながら、それでも「自己責任」を内面化させられているからです。

通俗道徳を乗り越えるために

では、私たちはどうすればいいのでしょうか?

まず必要なのは、通俗道徳を歴史的産物として相対化することです。「努力すれば報われる」という物語は、永遠不変の真理ではありません。それは、特定の時代に、特定の社会構造を支えるために作られた価値観なのです。

努力そのものを否定する必要はありません。自分の人生に責任を持つことも大切です。しかし、すべてを個人の徳性に還元し、構造的要因を無視する思考パターンは、私たちを苦しめるだけです。

「努力」と「責任」を、個人と社会の関係の中で再定義すること──それが、通俗道徳の呪縛から逃れる第一歩ではないでしょうか。

あなたは、誰を切り捨てますか?

最後に、読者のあなたに問いかけたいことがあります。

SNSで誰かの困窮を見たとき。ニュースで貧困問題を知ったとき。あるいは、身近な人が苦しんでいるとき。

あなたの中に、「自己責任じゃないか」という声が浮かびませんか?「もっと頑張ればいいのに」という思いが、よぎりませんか?

もしそうなら、それは150年前に仕組まれた思考パターンかもしれません。

私たちは今、分岐点にいます。このまま通俗道徳的な「自己責任社会」を強化していくのか。それとも、「努力」を個人の自己肯定感を支える物語にとどめつつ、社会的連帯や救済の倫理を組み込んだ、別の道徳フレームを作っていくのか。

「がんばれば報われる」という物語に、あなたはどこまで賭けますか? そして、報われなかった人を、あなたは切り捨てますか?

この問いに、正解はありません。でも、問い続けることだけは、やめてはいけないと思うのです。

終わり

最後までお付き合い下さり有難う御座います。

この記事が、あなたの明日を少しだけ彩るスパイスになれば嬉しいです。

【参考文献安丸良夫『文明化の経験』岩波書店、2007年松沢裕作『生きづらい明治社会』岩波ジュニア新書、2018年】

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パロディとオマージュの狭間で:1970年代日本音楽界のユニークな創造性。

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1970年代の日本音楽界を振り返るとき、二つの興味深いグループの存在が浮かび上がる。「ずうとるび」と「フィンガー5」。前者はビートルズのパロディとして明確に位置づけられ、後者はジャクソン5を意識した「日本版」として活動した。この二つのグループは、パロディとオマージュという創作手法の微妙な違いを示す格好の事例となっている。これらはネーミングも去ることながら興味深くとても面白い日本のミュージックシーンにおける話だ。

それについて今回は取り上げて、私の呟きを綴ってみた。

ずうとるび:パロディとしての明確な意図

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「ずうとるび」というグループ名は、「ビートルズ」をもじったパロディであることが複数の情報源で明記されている。音楽情報サイトでは「グループ名の『ずうとるび』は世界的な人気を博したバンドである『ビートルズ』をもじったものです」と説明され、ファンブログや解説記事においても「ビートルズのパロディ・バンドというかお笑いグループが存在していた」「グループ名『ずうとるび』は『ビートルズ』をひっくり返したというパロディ」といった記述が繰り返し見られる。

この「ずうとるび」の例は、パロディの本質を明確に表している。パロディとは原作を意図的に模倣し、しばしばユーモアや風刺を込めて変形する手法である。グループ名からして逆さ言葉や業界用語を用いた遊び心があり、「ビートルズのパロディーみたいな意味合いだった」という証言からも、その意図の明確さがうかがえる。

フィンガー5:オマージュとしての敬意

画像はイメージです

一方、「フィンガー5」については、検索結果に直接「ジャクソン5のパロディ」と明記した一次情報は見当たらない。しかし、フィンガー5がジャクソン5を意識した兄妹グループとして活動し、楽曲やスタイルが類似していることから、一般的に「日本版ジャクソン5」と呼ばれることが多い。

ここで重要なのは、フィンガー5の場合、パロディというよりは「オマージュ」や「日本版」といったニュアンスが強いことである。オマージュは原作への敬意を込めた創作手法であり、単なる模倣を超えて、原作の精神や価値観を受け継ぎながら新しい作品を生み出そうとする試みである。

パロディとオマージュの境界線

両者の違いは、創作者の意図と受け手の解釈において明確に現れる。ずうとるびは名前からして「ひっくり返した」遊び心を前面に押し出し、ビートルズという存在をユーモラスに変形させることを意図していた。これは典型的なパロディの手法である。

対してフィンガー5は、ジャクソン5の成功モデルを日本の文脈に移植し、日本の音楽界で独自の価値を創造しようとした。これは原作への敬意を基盤とするオマージュの姿勢と言える。

1970年代日本音楽界の創造性

興味深いのは、どちらのアプローチも1970年代という時代背景の中で独自の価値を生み出したことである。ずうとるびは「恋があぶない」などのヒット曲を生み出し、フィンガー5は「学園天国」で一世を風靡した。彼らは単なる模倣者ではなく、海外のスタイルを日本の文化的土壌に根ざした形で再創造した創作者だったのである。

この現象は、創造性における「影響」と「独創性」の関係を示している。完全にオリジナルな創作物は存在しないが、既存の作品からの影響をいかに消化し、新しい価値に転換するかが創作者の腕の見せどころとなる。

現代への示唆

現代のコンテンツ産業においても、この「パロディとオマージュ」の問題は重要な意味を持つ。デジタル時代において、既存コンテンツの二次創作やリメイクが日常的になった今、創作者は常に「模倣」と「創造」の境界線を意識せざるを得ない。

ずうとるびとフィンガー5の事例は、同じ「影響関係」であっても、アプローチの違いによって全く異なる作品が生まれることを示している。パロディは批評的な距離を保ちながら原作を変形し、オマージュは敬意を込めて原作の精神を継承する。どちらも正当な創作手法であり、文化の発展に寄与する重要な要素である。

おわりに

1970年代の日本音楽界に現れた「ずうとるび」と「フィンガー5」は、パロディとオマージュという創作手法の豊かな可能性を示している。彼らの存在は、創造性が決して無から生まれるものではなく、既存の文化的資産との対話の中で育まれることを教えてくれる。

現代の私たちもまた、先人たちの遺産を受け継ぎながら、新しい時代にふさわしい表現を模索している。その際、パロディとオマージュという二つの手法は、依然として有効な創作の道具として機能し続けるだろう。重要なのは、どちらを選択するにせよ、その背景にある文化的文脈を理解し、真摯な創作態度を持ち続けることなのである。

アメリカとエジプト

無料航空券が2枚当選したとしたら、どこに行きますか ?

アメリカかエジプトに生きている内に一度は行ってみたい。

アメリカはモニュメントバレー、ナバホの聖地でネイティブアメリカンの方の美しい民族衣装を纏ったダンスを見たい。

アメリカはもう一カ所ワイオミング州のデビルズタワーに行って未知との遭遇を体験して見たい。

壮大な地球のあらましを目の当たりにしたいのだ。

エジプトは言うまでもなく、ピラミッドとスフィンクス見学だ、そしてルクソールとアブシンベルの神殿だ。

どんなときに不安になりますか ?

常に不安です…

そして憂鬱…

その様な時間中の刹那に、気づき、癒やし、諦め、希望、等と様々な意図もしれない雑念を覚えて生きています。

年齢を重ねても魂たる心の内はさほど変わらないのだと思ったりする愚かさの中にても、些細な喜びがあったりします。

chakiと言うアーチトップギター

chaki(茶木)

日本の京都にて元々コントラバスなどのアカデミックな弦楽器を制作していた工房にて、辻井士郎氏が制作を始めたアーチトップギターがその個体の美しいシルエットに魅了されている。

私がこのギターを知るきっかけになったのは、若い時分に大阪のバンド「優香団」 のコンサートに行ったのがきっかけだった、ガッツリブルースにどっぷり浸かったバンドのキャラクターは当時もだが、現在ではとても貴重な存在だったと言えるだろう。

アコースティックの楽器を抱えた4人編成のバンドは皆椅子に座って演奏する…

ライブ中は演者もアルコールを飲んでいたように記憶しているが、演奏を見る観客も勿論酒を抱えての視聴だった、自分は当時職場の先輩と2人で訪れたライブだったが、並べられたホールの折り畳み椅子に座り、スーパードライの大瓶を持ってそのまま飲みながら曲に換気した…

瓶から飲むビールがあれほど不味い物だと思ったのを強烈に思い出に残しているが

それすら彼らの演奏するブルースの病的で暗く喜びの混じったエネルギーは生きている事なる悲しさや寂しさまた明暗である人の根源のような空間へ誘う材料となった。

ブルースとはそう言う物であるのだ…

若い頃にはただ酒を煽って鑑賞するだけの単なる非日常の一幕として出かけた一時だったが、

その経験は長い時間忘れながら、何故だろう、年を重ねて「ふっと」

思い出される…

古臭い個の人生においてセピアともなった記憶の中に微かから、

強烈に思い出される憧れがある。

それは「優香団」のギタリスト「内田勘太郎」がつまびいていたどデカいギターだ!!

当時の記憶では若い自分はプロが使うギターなのだから、高価な物なのだろうと

決めてかかっていたが、

数十年経って興味を寄せる事で分かった事は当時では決して高価な物ではなかったという事実だった。

しかしながら、時代の背景もある、現在では非常に高価な個体となったそのギターは、

唯一無二の存在となっている。

完成されたフォルムは「日本人の心を燃え上がらせる…」

これは自分の主観だけれど、

長い年月を共に完成される傷や経年変化は、まさにジャズであり、ブルースなのだだ…

年齢を重ねて知る事もあるけれど、体の老いとは裏腹に精神年齢はいかがな物なのか。

恥ずかしながら、高校生の頃ギターに憧れてアルバイトして買った安いギター。

その頃から憧れる夢は現在も変わらずに自分の中に潜在している。

時の流れの中で、紆余曲折しながらもたどり着いた、夢の面持ちは今後も

変化するのだろうか…

半世紀以上を人生に費やした今、同年代のヒーロー達には全うして星になる人も日に日に目にする様になった。

どれだけの時間が自分に残されているのか、知る由もないけれど、

まだ残る欲望のまま、このギターを迎え入れる事を決めた。

一度は手にして手放した経験もありながら、再び求める自分の愚かな過ちの心は

きっと次なる高みへ行くことが出来るのだと信じてやまないのである。

それが生きる術なのだから。

「chaki」よ…

喜びは一緒にある。

 

 

 

自信?何の?…

自信はどの程度ありますか ?

若い頃は根拠のない自信があったが…

年齢を重ねるのと引き換えにその能力は衰退して行ったのだった…

今では、石橋を叩いて見るだけだ…

いったい誰が人生100年時代と言われ、喜ぶというのだろうか?

自分にはその心境が皆目わからないのだった。

そして今生きている事に没頭している。

没頭する活動

どのような活動に没頭しますか ?

日々没頭している物…

頭を巡る理想との格闘だ。

興味を持つ物は行動に移し自分を試して見ようと考えながら…

イザと言うときに躊躇してしまう自分があらわれ…

又どうするか思案する。

弱い自分との格闘が多くある中でも、

進行するに至っている物に関しては大いに喜ばしい事であるけれど。

成果を求める気持ちが、思考の浪費にひと役買い…

疲れを伴う。

しかし日々において、そのプロセスの繰り返しに取り憑かれた様に自分は没頭している。

飽きない映画

5回以上観た映画やテレビの連続番組は何ですか ?

自分が癒やされる映画は

「男はつらいよ」寅さん映画です。

自分の幼少の頃からの原風景が見られ、

ノスタルジーが感じられる所に魅了されています。

寅さんの心意気と、わがままのギャップがコミカルで楽しく、

毎回登場するマドンナの美しさ、

そして何より妹さくらの兄さん思いの表情は

美しく。

自分がはさくらファンでもあります。

迷信を信じるか…

迷信を信じていますか ?

迷信を信じるかは、その時と場合に左右されると思っている。

信憑性のあるものからバカげたものまで多分にある中で…

どう判断するかはTPOに流される…

そうすれば、そんなに重要な物でもなさそうで…

そしてそう多く出くわす様な状況も無い、

願かけもやルーティーンもある意味似たような部類だと思う、

オカルトじみた話は、

結果論で話せば、侮るなかれとなる。

自分がまだ18位の頃近所の商店にお菓子の類をよく買いに言っていた、

顔見知りの店主のおばさんが、

支払いの時に自分の手の爪が伸びているのを見て、

「爪が伸びているとカッコ悪いよ、今晩でも良いから切りなさい…

夜爪を切ると親の死に目に会えないからやめとけって言う話があるけれど、

私は夜切っていたけど、ちゃんと親の死に目に会えたから、大丈夫よ!」

そう自分に話してくれた。

何故かこの他愛のない話を、

今50を過ぎた今でも覚えている。

何故か…