
モロッコ北部、リフ山脈の麓に、小さな街がある。
シャウエン、あるいはシェフシャウエン。
細い路地も、階段も、家々の壁も、扉さえも――そのすべてが青に染まっている。
まるで空の中を歩いているような、現実離れした景色。
SNSには毎日のように、この街の写真が投稿される。
青い壁を背景に微笑む旅行者。
猫が座り込む青い階段。
光と影が青に溶け込む、迷路のような路地。
「世界一美しい青の迷路」
そう呼ばれることも珍しくない。
けれど、この街を訪れた人の多くが、写真を撮り終えたあとに、ふと違和感を覚えるという。
なぜ、隣の街は青くないのに、ここだけがこれほど徹底して青いのか。
観光地としての演出にしては、あまりにも生活に根づきすぎている。
扉の裏側まで、階段の踏み面まで、青は容赦なく塗られている。
「虫除けのためらしい」 「暑さをしのぐためだと聞いた」 「観光客を呼ぶために塗ったのでは」
そうした話を、一度は耳にしたことがあるかもしれない。
だが実際に歴史をたどっていくと、答えはひとつではない。
シャウエンの青は、戦争、宗教、亡命、文化、そして経済という、いくつもの歴史が幾重にも積み重なって生まれた色だった。
この記事では、史実をもとに「なぜシャウエンは青くなったのか」を、時代の流れに沿って紐解いていく。

■ 青い街として生まれたわけではなかった
まず、意外な事実から始めたい。
シャウエンは、最初から青い街だったわけではない。
創建は1471年。
建てたのはムーレイ・アリー・ベン・ラシドという人物だった。
当時の目的は、観光でも景観でもない。
ポルトガル勢力に対抗するための、要塞都市としての建設だった。
つまり、シャウエンはもともと軍事拠点として産声を上げた街なのだ。
リフ山脈の谷間という地形は、外敵の侵入を防ぐには理想的だった。
険しい山道を登ってこなければたどり着けない立地は、街を守る天然の壁でもあった。
観光客を魅了する現在の風景も、もとをたどれば、生き延びるための知恵の産物だったということになる。
そして1492年、大きな転機が訪れる。
レコンキスタ――キリスト教勢力によるイベリア半島再征服が終結したことで、スペインを追われた多くのイスラム教徒やユダヤ人が、この地へと逃れてきた。
彼らが持ち込んだのは、アンダルシアの文化だった。
白壁。 中庭。 狭い石畳。 曲がりくねった路地。
現在も街に残るこれらの景観は、故郷を追われた人々が新天地で築いた記憶そのものだと言える。
この段階では、まだ青は主役ではない。
街の骨格ができあがっただけの、静かな時代だった。

■ 最も有力とされる説──ユダヤ人が持ち込んだ「神の色」
現在、もっとも広く語られているのが、ユダヤ文化起源説である。
20世紀前半、ヨーロッパで反ユダヤ主義が強まっていった時代。
シャウエンには、迫害を逃れた多くのユダヤ人が移り住んだ。
そしてユダヤ教において、青――特に「テケレット」と呼ばれる色――は、単なる色彩以上の意味を持っていた。
空の色。
天国を思わせる色。
神の存在を象徴する色。
人は空を見上げることで、神の存在を思い出す。
その信仰にもとづき、建物を青く塗る習慣が広まっていったと考えられている。
多くの歴史家が、これを最有力の説として紹介している。
ただし、青がいつ、どのようにして街全体に広がっていったのか、その正確な経緯については、今も諸説が残されたままだ。
宗教的な祈りから始まった色が、やがて街全体を覆っていく。
そう考えると、この青には、単なる装飾以上の重みが宿って見えてくる。
興味深いことに、青を神聖な色とする感覚は、ユダヤ教だけのものではない。
地中海沿岸の多くの文化で、青は「魔除け」や「聖なるもの」と結びつけられてきた。
ギリシャの家々に見られる青い扉。
トルコの「ナザール・ボンジュウ」と呼ばれる青い眼のお守り。
離れた土地でありながら、人々は同じように青へ祈りを託してきた。
シャウエンの青も、そうした地中海世界に広がる祈りの系譜の延長線上にあると見ることもできる。
■ 虫除け・暑さ対策という、もうひとつの顔
一方で、地元の人々の口からは、まったく違う説明が語られることもある。
そのひとつが、「青は蚊を寄せ付けない」という言い伝えだ。
昔から、青は水を連想させる色とされてきた。
そのため、虫が水辺だと錯覚し、近寄りにくくなるのだという。
科学的に完全に証明されているわけではない。
それでも、現地では今なお語り継がれている、有名な説のひとつである。
もうひとつの実用的な理由が、「暑さ対策」だ。
石造りの街は、夏になると強い日差しにさらされ、驚くほどの暑さになる。
淡い青は光を反射し、見た目にも涼しさを感じさせる。
実際のところ、建物そのものの断熱効果というよりも、光の反射や街全体に与える視覚的な印象に大きく寄与していると考えられている。
宗教的な意味だけでなく、暮らしの知恵としての青。
そう捉えると、この色がなぜここまで街全体に浸透していったのか、少しずつ輪郭が見えてくる。
信仰と実用、この二つは対立するものではなく、むしろ互いに補い合いながら、青という選択を後押ししてきたと考えるほうが自然だろう。

■ 観光都市になったことで、青は「街のブランド」になった
時代は進み、20世紀後半。
シャウエンは、世界中から旅行者が訪れる人気の観光地へと変わっていく。
そこで住民たちは、毎年のように壁を塗り直し、街全体で青を維持し続けるようになった。
もはや青は、宗教的な象徴だけの存在ではない。
現在では、シャウエン最大の象徴として、観光産業を支える重要な役割を担っている。
青を守ることは、街の文化を守ることであり、同時に、住民たちの生活そのものを支える営みでもある。
観光客が写真を撮り、SNSに投稿し、また新たな旅行者が訪れる。
その循環のなかで、青い壁は今日も塗り直され続けている。
信仰から始まった色が、いつしか経済を動かす色になった。
そこには、時代とともに姿を変えていく「色の役割」の物語がある。
塗り直しの作業は、決して華やかなものではない。
住民たちは、観光シーズンの前になると、バケツと刷毛を手に、自宅の壁と向き合う。
塗料代は決して安くはなく、それでも多くの家庭がこの習慣を絶やさない。
なぜなら、青が薄れた家は、街全体の景観を損なうと考えられているからだ。
一軒の家の青は、その家だけのものではなく、街全体で共有される「景観」なのだという意識が、住民のあいだに根づいている。
個人の家の色が、街全体の物語の一部になる。
そうした感覚こそが、シャウエンの青を今も色褪せさせない原動力なのかもしれない。
■ 「青」に、正解はひとつではない
ここまで見てきたように、シャウエンの青には、いくつもの説が存在する。
ユダヤ教の宗教的象徴。
神への祈り。
虫除け。
暑さ対策。
アンダルシア文化の影響。
そして、観光資源としての発展。
歴史学の世界でも、決定的なひとつの答えは、いまだに出されていない。
むしろ、これらの理由が時代ごとに積み重なり、絡み合いながら、現在の青い街ができあがったと考えるほうが自然だろう。
つまり、シャウエンの青は、一度に塗られたものではない。
500年以上という長い年月をかけて、少しずつ塗り重ねられてきた色なのだ。
現地の案内や近年の研究でも、「ひとつの理由だけでは説明できない」とされることが一般的になっている。

■ 青は、「平和」を塗り続けた色だった
シャウエンの青は、ただ美しい観光地の景色ではない。
そこには、故郷を失った人々の祈りがあった。
見知らぬ土地で、それでも生きようとした人々の希望があった。
そして、受け継いできた文化を守ろうとする、静かな誇りがあった。
現代においても、その歴史を未来へと伝えるために、今日もどこかで誰かが青い壁を塗り直している。
私たちは、この街を写真で見て、「綺麗だ」と感じる。
けれど、その背景にある歴史を知ったあとでは、同じ青が、少し違って見えてくるはずだ。
それは単なる色ではない。
戦乱を越え、信仰を受け継ぎ、幾世代もの人々が築き上げてきた「記憶そのもの」なのだ。
次にシャウエンの写真を目にしたとき、その青の奥に、名も知らぬ誰かの祈りと暮らしを思い出してほしい。
美しさの理由をひとつに決めつけないこと。
それこそが、この街が私たちに教えてくれる、静かな知恵なのかもしれない。
The end
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日を少しだけ彩るスパイスとなれば嬉しいです。
Thank you for reading to the end. I hope this article adds a little spice to your day tomorrow.