
礼城 進 オーストラリアの自然を最大限に楽しむ方法: 野生動物を間近で見るための秘訣
歴史の教科書には載らない、しかしこれは紛れもない史実である。
1932年、オーストラリアは正規軍を動員し、機関銃を構え―そして、鳥に負けた?…
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序章 砂漠の向こうで、何が起きていたのか
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1920年代末、世界は大恐慌の深淵に沈んでいた。華やかな消費の時代は終わり、工場は閉まり、街には失業者があふれた。オーストラリアの西部辺境とて例外ではない。
かつて第一次世界大戦の戦場で命を賭けて戦ったオーストラリア兵士たちは、帰国後、政府から農地を与えられた。英雄的な彼らへの褒賞は、広大だが不毛な西オーストラリアの赤い大地――キャンビオン地区の乾いた土だった。
彼らは武器を鍬に持ち替え、干ばつと砂嵐と戦いながら、必死に小麦を育てた。ようやく収穫の季節が見え始めたその年の秋、地平線の向こうから黒い影が押し寄せてきた。
軍隊でも、嵐でも、侵略者でもない。それは―エミューだった。
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「侵略」の始まり――エミュー大群の到来
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エミューはオーストラリア固有の走鳥類だ。翼を持ちながら空を飛べず、代わりに広大な大地を季節とともに移動する。体高は1.5〜1.9メートル、体重は最大60キログラム――会えば圧倒される存在感だ。
その年、干ばつが内陸の水場と草原を枯らした。生存本能に従い、約2万羽の群れが海側――農地のある沿岸部へと向かった。彼らには、そこに人間の命がかかった畑があるなど、知る由もなかった。
「彼らは死闘を求めて来たのではない。ただ、水を飲み、草を食むために移動してきた。だが、その無垢な大移動が、人間には『侵略』に見えた。」
エミューが農地に到達すると、柵は踏み倒され、小麦は食い荒らされ、壊れたフェンスの隙間からはウサギや害獣が流れ込んだ。一羽一羽は無害でも、2万羽の群れは自然の津波のように農地を変えてしまった。絶望した農民たちは政府に嘆願した。
「作物を守れなければ、私たちは生きていけない」と。
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軍隊出動――「戦争」という名の茶番
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農民の嘆願を受け、オーストラリア国防省は異例の決定を下した。エミュー討伐のため、正規軍を派遣する――と。
1932年11月、オーストラリア陸軍砲兵隊のメレディス少佐が指揮を執り、兵士たちはルイス軽機関銃(毎分500発の発射能力を持つ)と約1万発の弾薬を携えてキャンビオン地区へ向かった。従軍したのは、戦場経験を持つ歴戦の兵士たちだ。
メディアはこの「作戦」を喜んで取材した。鳥を狩る軍隊――それは奇妙にも滑稽にも映り、記者たちは面白おかしく筆を走らせた。しかし現場の農民にとっては、それほど笑えない話でもなかった。
ある意味で、これは二つの戦争だった。一つは農民と野生動物の戦争。もう一つは、政府とプライドの戦争だ。
誰もが軽く見ていた。機関銃対エミュー――勝負は明らかなはずだった。だが、大地はその予測を裏切る準備をしていた。

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迷彩なき敵――速さと群れの力
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最初の交戦は11月2日。農民の報告では、ダムに集まった約1万2千羽の群れが標的になるはずだった。ところが、兵士たちが射程内に入ると、群れは魔法のように散開した。
エミューは最大時速50キロメートルで疾走する。機関銃の狙いを定める前に、群れは数十の小集団に分かれ、異なる方向へ走り去った。草むらに消え、丘を越え、砂埃の中に溶けてゆく――まるで砂漠の風が形を変えたかのように。
地形も敵に回った。農地の起伏と硬い地面では、機関銃の射角が制限される。砲弾の多くは土を叩き、あるいは巨体を貫いても即死させられない。後に「エミューの羽毛は弾丸を受けても倒れない」という証言まで記録に残った。鳥類学的には誇張だが、それほど奇妙な光景だったということだ。
メレディス少佐は後にこう語ったという――「もし我々に師団があれば、機関銃部隊を持つ方が有利だっただろう。エミューは銃弾を吸収しても歩き続けた。彼らはまるでズールー族のように攻撃に耐えた」
そして追い打ちをかけるように、機関銃の一挺が早々に故障した。悪天候が続き、作戦は中断を余儀なくされた。人間の軍隊は、自然の前で次々と躓いていった。
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そして、軍は撤退した
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作戦開始から数週間、結果は惨憺たるものだった。記録によると、使用した弾薬は膨大な数にのぼりながら、確認できた討伐数は1,000羽にも満たなかったとされる。比率にすると、1羽仕留めるのに弾丸10発以上を要した計算だ。
野党議員は議会でこの作戦を激しく批判した。「鳥に負けた軍隊」という烙印は、国防省に深刻なダメージを与えた。12月、政府はついに軍の派遣を打ち切った。
代替策として採用されたのは、農家への弾薬支給と「1羽につき報奨金」の制度だった。こちらの方が遥かに効率的だったという記録が、皮肉にも残っている。
メディアはこの出来事を「エミュー戦争(The Emu War)」と命名した。
※【本作戦は正式な宣戦布告を伴う戦争ではなく、報道によって「エミュー戦争」と呼ばれるようになった】
世界中で報じられ、オーストラリアの軍隊が正式に鳥に敗北した「事件」として歴史に刻まれた。
だが笑い話の奥には、もっと深い問いが静かに横たわっていた。

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人間と自然の混沌――「侵略者」とは誰だったのか
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エミュー戦争は、単なる珍奇な歴史の逸話ではない。その滑稽さの裏には、人間と自然の根本的な矛盾が透けて見える。
エミューはオーストラリアに何百万年も前から存在する固有種だ。広大な大地を自由に移動することが、彼らの生態そのものだ。季節と乾燥に従って移動することは、彼らにとっての「普通の生活」に過ぎない。
人間は農耕地を守るために自然を「敵」と見なし、最終兵器――軍隊――を投入した。しかし、エミューの立場から見れば、自分たちの土地に農地が突如出現したのだ。はたして「侵略者」は、どちらだったのか。
今日の地球でも、同じ構図は繰り返されている。都市の拡大、森林伐採、気候変動――人間の活動が野生動物の生息地を次々と侵食し、動物たちは「危険」「害獣」「害鳥」のレッテルを貼られながら追い立てられる。エミュー戦争が起きた1932年から100年近くが経ったいま、その矛盾はより深く、より複雑になっている。
私たちは自然を「征服すべき対象」として扱い続けてきた。農業、開発、インフラ――それ自体は悪ではない。しかし、その延長線上に「自然との共存」という視点が欠けていた時、何が起きるかをエミュー戦争は静かに示している。
銃弾は、エミューを変えなかった。エミューは変わらず、そこに、いた。
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終章 鳥たちが私たちに語ること
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あの奇妙な「戦争」から90年余り。エミューはいま、オーストラリア連邦の国章にも描かれている。国の紋章を支えるのは、カンガルーとエミュー――共に「後ろに下がれない生き物」として選ばれた、前進を象徴する動物たちだ。
かつて機関銃を向けられた鳥は、今や国の誇りの一部として、硬貨や公式文書に刻まれている。歴史の皮肉を、これ以上雄弁に語るものがあるだろうか。
エミュー戦争は教えてくれる。力で自然を「制圧」しようとする試みは、多くの場合うまくいかない。機関銃の前でさえ、エミューは生き延びた。自然は、人間の都合に合わせて変わらない。
変わらなければならないのは、人間の側の「見方」なのかもしれない――農民が「侵略」と見たものを、別の目で見れば「移動」に過ぎなかったように。
敵とは何か。自然とは何か。人間の役割は何か。
エミュー戦争は、ただの歴史の珍事件では終わらない。
それは私たちが未来にどう生きるべきかを、静かに問いかける―ひとつの寓話なのだ。
★【この出来事は国家間戦争ではなく、1932年の害獣対策作戦が報道によって“戦争”と呼ばれたものである。】
最後までお付き合い下さり有難う御座います、この記事があなたの明日のスパイスとなれば幸いです。
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参考資料
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・Encyclopaedia Britannica
“Emu War.” 歴史的背景、作戦概要、結果に関する基礎資料。
・Australian War Memorial
1932年当時の軍事記録および関連史料。
・Western Mail(1932年11月号)
西オーストラリア州における作戦当時の新聞報道。
・Parliament of Australia – Historical Records(1932)
エミュー対策に関する議会記録および討議資料。